就職活動に挫折した泉が失踪。
満男は鳥取から届いた葉書を頼りに泉を探しに行くが……。
シリーズ第44作。
男はつらいよ
寅次郎の告白
1991
日本
104分
カラー
<<解説>>
ゴクミ登場の連作の第三編となるシリーズ44作目。泉の就職問題をからめ、再び家出をした彼女を満男が探しに行くことをきっかけに始まる物語。全二作と同じく、満男、泉、寅次郎、マドンナが旅先で偶然再会するというパターンである。マドンナに吉田日出子。マイペースで楽天的なキャラクターが強烈。特別にゲストは迎えていないが、シリーズの常連である津嘉山正種、杉山とく子が脇を固める。特に後者の名演は必見。舞台は鳥取。冒頭は寅次郎の口上風のモノローグ。嬉しい見どころとして、前作に引き続いて、寅次郎とタコ社長の喧嘩がある。前作では口論程度だったが、本作では取っ組み合いに発展(取っ組み合っている場面は見られないが)。
前作で父親と決別し、母親と二人で生きていくことに決めた泉。ところが、本作では、自立を希望して東京で就職活動を始めている。就活が思い通りに行かなくなると、あげくに再び黙って家を出てしまう。それというのも、母親に恋人が現われたからだ。激しく同様した泉は子供じみた態度で母親の恋人にあたる。厳しい現実と戦っているとは言え、まだ高校生。大人になりきれていない少女の心の揺れが描かれていく。一方、満男はそんな泉の力になろうとするが、自分の無力を思いしらされるばかり。彼の姿を通して描かれる、青春のもどかしさがなんとも苦しい。
前作は泉の父親探しを物語の軸として、人生に苦しむ彼女の姿を描いていたが、さらに本作はそれを推し進め、特に前半は完全に泉を中心にした物語になっている。初登場時は単なる満男のマドンナであり、キャラクターも類型的だったが、ここに来て輪郭を持った人間として描かれ始めている。博たち周りの大人が泉の見た目のことばかりを口にすることに満男が激怒する一幕があるが、泉のマドンナからの脱皮を暗示する場面となった。ちなみに、旅先で行きずりの老婆の家で世話になるというのはシリーズでのお約束だが、それを泉にもやらせているのが可笑しい。
寅次郎のマドンナは、物語も終盤にさしかかったところでようやく登場。マドンナは一年前に旦那を亡くしていて、その上、寅次郎にも好意を寄せている様子。大方の普通の男性にとってみては、それは喜ぶべき状況なのだろうが、寅次郎にとっては複雑なところ。いや、むしろ、彼にとってはもっとも恐ろしい状況なのかもしれない。マドンナにつけいるすきがあるというのは、第27作『浪花の恋の寅次郎』、第29作『寅次郎あじさいの恋』と同様。ここで、いつものように寅次郎がおよび腰になるかと思いきや、今回のマドンナは積極的だ。十越しに相思相愛だったことが発覚するくだりは、マドンナのから元気と相まってとてもせつない。
この作品でも満男のモノローグは印象的だ。「世の中でいちばん美しいものは恋なのに、どうして恋をする人間はこんなに無様のだろう」という名言を吐く。寅次郎の無様な恋を目の当たりにして、自分も泉に対して同じことやっていることに気付いた台詞である。熱心な観客には自明のことだが、寅次郎と満男が似ているということを今一度、強調することになる。ただ、寅次郎の性格を満男が泉に解説をする場面では、二人の違いもしっかり押さえられている。台詞以外にも、寅次郎と満男の類似を印象付ける演出があり、本作では満男がよくコケる。自宅の階段、砂丘、旅館の階段の正味三回。流血し怪我を負うほどの派手さで、最初期の寅次郎を彷彿とさせる。
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