信州の田舎で孤独な老婆を慰めた寅次郎は、
老婆の入院先の病院の女医とその姪の大学生知り合う。
未亡人である女医と寅次郎の恋を描くシリーズ第40作。

男はつらいよ
寅次郎サラダ記念日

1988  日本

100分  カラー



<<解説>>

『ダウンタウンヒーローズ』の製作に専念したため、一年振りとなる40作目。前年にベストセラーとなった俵万智の短歌集「サラダ記念日」を大フィーチャーした。毎回、原作は山田監督名義になっているが、本作だけは、俵とのコラボになっている。マドンナに三田佳子が登場。その姪に扮する三田寛子は、尾美としのりとのロマンスを演じる。ゲストとして、奈良岡朋子がマドンナの母親役に。また、物語のテーマを担う重要な老婆の役に鈴木光枝。その他、すまけい、笹野高史など常連の顔も。舞台は小諸市と東京の早稲田大学。ラストシーンは島原。夢のシーンが無い代わりに、旅先の寅次郎のモノローグで始まる。
本作は、40作という大台に突入したシリーズに様々な新風を吹き込んだ快作である。前作は、寅次郎の活躍が目立った比較的硬派だった。しかし、本作は一変し、細かい設定の変更や挑戦的な試みが数々行なわれている。そのため、いろんな意味で前作とことなっていて、心機一転したというイメージがより強く感じられる作品となった。もし、「男はつらいよ」はとっつきにくいと感じているならば、本作から観始めるという手もありえるかもしれない。
まず、本作からの変更点でいちばん分かりやすいのは、寅次郎の実家であるだんご屋の屋号が“とらや”から“くるまや”に変更になった。慣れ親しんだ屋号の突然の改名の理由には諸説あるようが、真相は不明ということになっている。また、第38作『知床慕情』あたりから店に名もない職人を雇い、それに前後して店番もあけみがやることが多かったが、本作から、京都弁をしゃべる青年・三平ちゃん(北山雅康)が店員として登場。“くるまや”の顔として定着し、シリーズを完走した。
挑戦的な試みとして挙げられるのは、もちろん、「サラダ記念日」を大々的に取り上げたことだろう。物語の取っ掛かりとしては、島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり雲白く遊子(ゆうし)悲しむ」が引用されている。これまでにも、劇中でいろんな文学作品を引用してきたが、それらは過去の名作ばかりだった。「サラダ記念日」という現代の作品をここまで大胆に引用するのははじめてのことだが、この歌集の持つ日常性や古さと新さの同居は、もしかしたら、意外と時代に敏感な「男はつらいよ」の世界感といちばん馴染んでいるかもしれない。また、「サラダ記念日」のパロディを字幕で挿入することで、画面にテンポが生まれているのも面白い。
現代の作品の引用といえば、三田寛子と尾美のシーンにサザンオールスターズの曲を被せたことにも驚かされる。そもそも、ここまで明るく爽やかな青春を描いたのもシリーズでは珍しいことだ。これまでも若者の青春を描いた作品はシリーズ中にいくつもあったが、そのほとんどが、「男はつらいよ」という人情喜劇の文法の上に成り立たせていた。しかし、ここでは、積極的に若者文化や風俗を取り得れて、明るくでさわやかな現代の青春を描こうと試みている。「男はつらいよ」に対する若者の持つイメージとしては、“古くささ”、“貧乏くささ”が支配的だったが、そうしたイメージを打ち破ろうとする試みなのかもしれない。
ここであえて、若者を意識した演出という冒険に挑んだ理由があるとすれば、やはりそれは、シリーズを続ける限り、満男の青春篇を描くことがどうしても避けられなってくるからだろう。サザンの採用も、後に満男のテーマ曲として徳永英明が採用されることに通じるとものがあり、これらの試みは、満男シリーズをはじめる上での下準備や実験だったとも考えられる。したし、だからといって、ただ単に若者に媚びただけではない。その証拠に、ミスマッチの面白さも意識的に見せている。第10作『寅次郎夢枕』にもあったが、寅次郎inキャンパスがその最たるもで、得意の馬鹿話で学生のハートを鷲掴みするくだりは、やっぱり笑える。しかも、寅次郎がネタにするのは、第20作に登場した若者“ワット”のことだから、ファンにはたまらないものがあるだろう。
「サラダ記念日」や大学生のさわやかロマンスにばかりインパクトがあるが、寅次郎とマドンナをめぐる淡い恋物語の方は、シリーズ定番のテーマである幸福論に堂々と挑んである。ただし、本作は寅次郎主体の物語ではなく、完全に、人生に悩みを抱えるマドンナ主体の物語になっている。寅次郎は恋をしているといっても、これまでのように積極的ではなく、どこか達観したところが感じられる。マドンナにとっても、寅次郎は彼女の人生にひとときの癒しを与える通りすがりの存在といったところだ。そんな通りすがりの寅次郎を通じて、マドンナの人生を描いている言っても良いかもしれない。
夫を失い子供とも離れて暮すマドンナと、孤独に死を待つだけの老婆を対比は圧巻だ。第32作『口笛を吹く寅次郎』での寅次郎の説法にあった「生まれてくるときも一人。死ぬときも一人」という言葉が思い起こされるが、結婚して家族を持ったその先の人生観や幸福論について考えているのである。はかない人生をより良くするために、いかにして理想と現実の折り合いをつけるか。妥協するためにどのような選択を行うべきなのか。それらの難問は、女性の社会進出が一般的になるに従い身近になってきた。寅次郎が失恋するのかしないかよりも、マドンナがどういう結論を導き出すのかが本作の最大の焦点になっている。



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