大人を誘拐して日本を20世紀に戻そうとする組織の陰謀に、
嵐を呼ぶ幼稚園児しんのすけが挑む。
劇場版アニメーション第9作。

クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲

2001  日本

90分  カラー



<<解説>>

「クレヨンしんちゃん」は、バカでスケベな幼稚園児しんちゃんが活躍する人気ギャグ漫画。原作の4コマ漫画からアニメからされるや、おちんちんやおしりの露出が幼稚園児中心にバカ受け。しんちゃん口調の子供が激増するという社会現象になった。過激な内容には批判も多く、子供に見せたくない番組の代表格だが、気が付けば長寿番組。海外でも評価されていて、なぜかスペイン語圏での人気が最も高い。本作はテレビアニメが開始の翌年から毎年恒例となっている劇場版の第9作。監督は第5作『暗黒タマタマ大追跡』よりシリーズを手がけている原恵一。
本作は、これまでの作品とは違い、しんちゃんの親やそれより上の世代にターゲットを絞った異色作である。本格的なSF仕立てのストーリーや、前世紀の世界のディテール豊さがオタク受けし、次作『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大作戦』と共に傑作の呼び声も高い。また、子供と一緒に観るのではなく、自発的に大人のみで劇場に足を運ぶという現象も起こったとも伝えられている。そして、何よりも、これまで作品とは縁の無かった人々に、「クレヨンしんちゃん」が面白いということを認めさせたという意味でも意義深い作品となった。
漫画版やテレビ版が日常のひとコマを描いているのに対し、劇場版では、春日部や世界の危機という大風呂敷を広げるというのがお約束となっている。今回、しんちゃんはじめ野原一家は、21世紀の日本を20世紀を戻そうとするという破天荒な陰謀に立ち向かっていく。しかし、本作がいつもの劇場版と様子が違うのは、怪物や怪人物が登場しないということ。野原一家が対決するのは、「想い出の中に逃げて、未来と向き合わないこと」という抽象的かつ現実的な対象であり、それを体現する人物も、変わり者のカリスマであるという以外はいたって普通の男女なのである。
誰の心の中にもあるつかみ所の無い対象と対決するため、野原一家の戦いもいつもと異なる。敵の親玉と立ち回ることはまったくなく、自分自身との戦いが主だったものになっているのだ。中盤からはしんちゃんの父ひろしの葛藤がクローズアップされていて、彼が敵の洗脳から冷める過程で見る回想は、名シーンとして名高い。ひろしだけでなく、もちろん、しんちゃんも自分自身と戦う。しんちゃんが延々とタワーを駆け上がるクライマックスは、アニメーションの表現力のすごさを再認識されるシーンだ。その後の、未来を取り戻す理由を問われたしんちゃんが吐く一連の台詞も泣きどころだ。
このように本作は若干シリアスな内容だが、やはり「クレヨンしんゃん」だけあり、おふざけが出来るところは、隈なく確実におふざけしてくれる。また、劇場版のお約束のひとつである、ど派手なアクションシーンもふんだんにあるので、最初から最後まで退屈することなしだ。しかし、そもそもが、おげれつギャグと感動的なストーリーは相性が良いようである。「サウス・パーク」の劇場版などが良い例で、普段ふざけてるからこそ、ここぞというときの感動にも説得力があるのだ。だがら、感動路線のストーリーを「クレヨンしんちゃん」でやった意義は大いにあったわけだが、ノスタルジックなイメージを前面に出しながらも懐古に浸るだけに止まっていないところも良い。「未来と向き合うことの大切さ」というさりげないメッセージ性も、しんちゃんが伝えるから嫌味がないのである。
本作を異色作としている要因の一つには、仮にも子供向けのアニメとしては特異なストーリーであるが、もう一つは、作家自身の作品への思い入れの強さだろう。5歳児の親であるはずのひろしの幼い頃の思い出が万博だというのは、設定に無理があるようだが、“帝国”と言えば“逆襲”と連想するような世代が作っている(ちなみに、原監督は当時42歳)のだと考えれば、さもありなんである。大人の琴線に触れる様々な小ネタだけに止まらず、大人を本気で泣かせにかかった例のひろしの回想シーンはやはり異常で、内容を子供たちに理解させるといった努力を完全に放棄しているである。本来の観客である子供たちを放ったらかしにした、という懸念や批判は確かにあるだろう。しかし、原作がもともと大人向けの漫画として始まっているのだから、原点回帰と思えばそうとも思えなくもない。
21世紀は夢が無いなどいうのは、誰もが漠然と考えていることだ。しかし、厭世を理由にした大人の“甘え”を、ここまであけすけに描いてた作品は、かつてなかっただろう。本作が予見していたように、昨今では、大人が懐かしいと思えるものが当時より簡単に手に入るようになった。コンビニに行けば駄菓子のコーナーがあるし、オモチャ屋に行けば懐かしのオモチャの復刻品が並んでいる。思い出に浸るのは悪いことではないが、だからと言って、大の大人が駄菓子や玩具をこぞって買い求める光景は、あまり気持ちの良いものではない。オモチャは大事にとっておくものではなく、時が来たら捨てなければならないものではないだろうか。本作は、オモチャを捨てきれない甘えた“オトナ”に向けたメッセージ、そして、作家の自省が込められているのかもしれない。しかし、同時に、“頭では分かっていても抗えない何か”が確かにあるのだという切実な訴えがひしひしと伝わり、なんともせつない気持ちにさせてくれる作品でもある。



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