リリーが病に倒れたと知った寅次郎は沖縄へ向かい、現地で一緒に暮し始める。
浅丘ルリ子のマドンナの三度目の登場となるシリーズ第25作。
男はつらいよ
寅次郎ハイビスカスの花
1980
日本
104分
カラー
<<解説>>
「男はつらいよ」シリーズの25作目は、第15作『寅次郎相合傘』以来、五年ぶりにリリーが登場。リリーが同一役でのマドンナ最多出演となり、また、寅次郎の最愛のマドンナであることを決定付けた作品。舞台は沖縄。恒例の冒頭の夢は、寅次郎がねずみ小僧に扮し、貧しい博・さくら夫妻を助けるというもの。
今回の物語は、いたってシンプルである――いつものようにぷらっと柴又に帰ってきた寅次郎。手紙でリリーが病気で倒れたと知ると、彼女の入院している沖縄へ駆けつける。寅次郎とリリーは沖縄で半同棲生活をおくるが、ささいなことで喧嘩して、分かれてしまう。そして、舞台は柴又へ――実は、『寅次郎相合傘』の後半のプロットと良く似た展開を見せ、焼き直し作品といっても良いくらいである。しかし、ストーリーを単純化することで、寅次郎とリリーの関係をより掘り下げることに集中し、その結果、シリーズでもっともラブストーリー色の強い作品となった。
リリーというと、強さと弱さが同居した魅力あふれるキャラクターとして認識されているが、病床のリリーというのは、まさに、彼女の脆さを象徴したシーンと言えそうだ。男が強さを鼻にかけることを何より憎むリリーにとって、自分の弱く無防備な姿をさらすのは屈辱に相当するだろう。しかし、彼女は、最後に寅次郎を頼り、彼にだけいちばん見られたくない姿を見せるのである。このことにより、二人の関係がどういうものかがよりはっきりとしてくるのである。
それからしばらくは、寅次郎とリリーの間に平穏な時間が流れるのは、『寅次郎相合傘』と同様。そして、やはり、第三者の介入により、ギクシャクしてしまうのも同じだ。放っておけばうまくいく二人の完璧な関係が、少しのはずみでガラスのように脆くも崩れ去ってしまう。しかも、二人の関係が壊れるのは、仕事や恋愛や結婚といった現実世界ではごくあたりまえの問題が持ち上がってきたときである。このことで、二人が単に意地を張り合っているのではなく、いかに、俗世間の縛りとは別次元の世界に暮しているかがわかるのである。
やはり、シリーズ随一のラブストーリーであり、寅次郎とリリーの手に汗握る台詞の応酬が一番の見どころ。渥美清の寅次郎はもちろん、浅丘ルリ子もリリーのキャラクターに磨きをかけているようだ。ああ言えばこう言うの連続で、歌や漫才みたいの掛け合いのように盛り上がっていく二人の会話。喧嘩でさえも息がぴったりあってしまっているのが、おかしいやらかなしいやら。その中でも今回は、寅次郎のうっかり言ってしまったプロポーズが特筆ものだ。『寅次郎夕焼け小焼け』でも、マドンナと「所帯を持とう」など冗談を言い合っていたが、今回は本気度が高い。『奮闘篇』以来のプロポーズということになるだろう。
物語の終盤では「夢」というものがキーワードとなっていく。自分たちは夢を見ていたのだと、沖縄での日々を振り返る寅次郎とリリー。御前様は、シェークスピアの言葉を借りて、「生きているうちこそが夢」と言い、さくらも、兄のことを思い、「夢から覚めたとしも幸せとは限らない」と名言を吐いている。寅次郎やりリーが確固たる存在感を持ちながら、結局は、ファンタジーの世界の住人であることを印象付ける台詞の数々だ。つまり、寅次郎とは、日本人の夢を具現化したような存在ということなるのかもしれない。この考え方はその後も発展し、シリーズの終焉にあたる第41作『寅次郎心の旅路』では、御前様に、「寅次郎の人生は夢みたいなものである」などと総括めいたこと言わせている。
ファンサービス的な面白い台詞として、“行き倒れ”騒動の場面で、おばちゃんが寅次郎を思い出して、「ハブに噛まれて死んじゃったんじゃないかね」などと冗談を言う。もちろんこれは、テレビドラマ版「男はつらいよ」の最終回のことを指している。実際、寅次郎がハブに噛まれたのは沖縄ではなく、奄美大島である。偶然か、作為か、映画版の最終作『寅次郎紅の花』の舞台が奄美大島であるが、同時にリリーの登場作であることに、なにかしらの因果のようなものあったりするのかもしれない。
本作は、リリーの登場する人気作だということもあり、渥美清の死後、新たなシーンを加えて再編集され、『特別篇』として公開された。加えられたシーンは、寅次郎に憧れて一人旅をする満男の姿であり、本編は彼の思い出として語られている。ちなみに、『特別篇』の主題歌は渥美によるものではなく、なぜか、八代亜紀が歌っている。
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