工場での単調作業でノイローゼになった工員は、
浮浪少女と出会ったことから人間らしい生活を取り戻してゆく。
機械化文明を風刺したコメディ。
モダン・タイムス
Modern Times
1936
アメリカ
87分
モノクロ
サイレント
<<解説>>
チップリンの長編5作目にして、おなじみの浮浪者姿が見納めとなる作品。前作『街の灯』に続くサウンド版で、背景の音楽の他、ラジオ放送や犬の泣き声などの音声が付けられている。また、終盤のキャバレーの場面では、チャリーが映画で初めて歌声を披露。主題曲「スマイル」と合わせ、音楽に関しても凄まじい才能を見せつける。ただ、歌うと言ってもこの「ティティナ」という歌は、はデタラメの言語で歌われため、結局、チャリーは意味のある言葉を発することはない。あくまで、サイレントの表現にこだわった映画なのである。
映画の冒頭で、「これは産業と個人――幸福を求めて戦う人間の物語である」などという断わり書きが入る。ちょっと皮肉っぽい表現のように感じられるが、実際の内容は、まさに冒頭に掲げられているテーマをストレートに表現している。すなわち、効率化とスピードを求められる産業社会のオチこぼれである主人公が、世間からつまはじきにされてもなお、人間として最低限の幸福を求めて努力奮闘していく様が、社会風刺をからめつつ描かれるのである。これまで、人間のどす黒いエゴを笑い飛ばしてきたチャップリンが、人間の幸福について描いたはじめての作品と言えるかもしれない。また、明確なメッセージ性もさることながら、それを伝えるだけのストーリーも軽妙にして絶妙。短編映画の継ぎ足し感のあったこれまでの長編に比べ、その完成度の高は格段だ。
まず、映画は、機械化文明を徹底的にカリカチュアすることからはじまる。ジグゾーパズルをしながらモニター越しに部下に指示を出す社長。極限まで特化された単純作業に従事されられる工員たち。ここで彼らは、ちょうど工場に並ぶ機械から突き出している歯車と同じ扱いなのだ。加えて、仕事をしながら食事ができる機械の登場である。これら人間存在を蔑ろにするギャグは、従来のチャップリンの真骨頂と言えよう。また、チャーリーが優雅にスキップしながら工場を破壊していく様なども、初期の短編映画のドタバタを思わせる。
単調な作業を続けすぎたため、ついにノイローゼになってしまったわれらが主人公。物語の中盤は、チャーリーが病院や留置所へ出たり入ったりを繰り返す。ある騒動に巻き込まれたことをきっかけに、チャーリーは刑務所で快適な生活を勝ち取る。独房で自宅に居るようにくつろいでいるチャーリーの姿は、物語の後半でのキーワードになる“家”の存在へとつながっていく。ここで、“家”は人間の最低限の幸福の象徴なのである。また、産業に奉仕するよりも刑務所にいるほうがマシだ言わんばかりのチャーリーのニヒリズムは、本作でもっとも痛烈な文明批判となっている。
機械化文明の批判や否定に始終するのではなく、前向きなメッセージを伝えようしているところが、本作がこれまでのチャップリンと大きく異なるところである。つまり、物語の終盤では、“家”という象徴に拘らない、人間的な生活への回帰を促していくのである。ところで、チャーリーとヒロインの少女は、ひじょうに仲が良さそうに描かれている。ここで、チャップリン映画の熱心な観客ならば、物語が悲しい終焉を迎えることを予想するだろう。本作は果たしてどうだろうか? 社会風刺という辛気臭い印象からは、裏切りと思えるほどの感動を与えてくれる。
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