豪華クルーズ船で密室殺人事件が発生。
その状況は61年前にシベリア超特急で起こった事件と符号していた。
時を隔てた二つの事件の裏に潜む驚くべき真相とは?

シベリア超特急3

SIBERIAN EXPRESS 3

2002  日本

111分  カラー



<<解説>>

殺人的な完成度により、作品自体が事件となった第一作。ありえないと思われた続編で、再び奇跡を起こした第二作。それらに続き、すっかりカルト映画として定着した「シベ超」シリーズ待望の第三弾が本作である。出演者は前作にも続き、相変わらずの豪華さで、宇津井健の三年振りの映画出演にはじまり、三田佳子が十年ぶりの映画復帰。前作には出演していなかった西田和昭がファンのラブコールに応え、一作目以来再び佐伯大尉を演じるている。その他、ゲストとして、デザイナーの鈴木紀男、劇中曲も手がけた西村協、発明家のドクター中松、ホラー作家の岩井志麻子が出演。また、シリーズ恒例となる冒頭の超長回し、中盤のロープ投げアクション、エンドクレジット後の二回のドンデン返しなど、常套の謳い文句をまんま演じる「シベ超」らしい見せ場に欠かない充実内容である。
映画は、後の伏線となる1935年のシーンがの後、2002年に移り、宇津井扮するマスコミの帝王・伝蔵が、サンポート高松に停泊しているクルーズ船に乗り込むところから始まる。ちょっとはじめに留意して頂きたいのは、本作は、能天気だった全二作くらべると、いたって真面目で深刻な内容と語り口で進行することである。からかい半分で観ようとすれば、怪我をする覚悟をしなければならない。もっとも、一流のプロモーターとしての水野氏の術中にはまってブームに乗せられた今では、世紀の珍作であった「シベ超」に対する感覚が麻痺してしまい、ちっとやそっとじゃ驚かなくなったということもある。それはそれで、寂しいことではあるが。
さて、今回のミステリーの呼び物は、61年の時を隔てて起こるまったく同じ殺人事件である。現代のクルーズ船での事件と、大戦前夜のシベリア超特急での事件。いったい、誰が何のために事件を再現したのか? クルーズ船で起きた事件の謎を解く鍵として、伝蔵と沢島がシベリア超特急で起きた事件のことを紐解く。物語の舞台は伝蔵たちの回想という形で、1941年へ移っていく。
密室に消えた婦人の謎。円周率πの意味するもの。そして、ソ連の機密文書の行方は? 例のごとく、ポアロ風の探偵を模した山下大将が、超人的な洞察力だけを駆使して、数々の謎と事件の真相に迫っていく。ほとんど自分で捜査に向かうことをしない山下大将に代わり、やはり例のごとく佐伯大尉が使いっパシりになるのだが、今回は、待望の再登場とあってか、アグレッシブな大活躍を見せ、ファンをおおいに楽しませてくれる。客室から客室への決死のロープ渡り。事件爆弾を手にした暗殺者との決闘。特に、ロープ渡りのくだりは、ハラハラドキドキさせられるアクションの見せ場だ。そのアクション・シーンは、実際の列車でスタントに挑んで撮影されたそうだが、そもそも、列車が走っているように見せただけでも、「シベ超」的にはSFXの域である。
山下大将にパシらされるのは、佐伯大尉だけでない。現代から事件を回想している当人である伝蔵少年と沢島少年の二名も、「少年探偵団」よろしく、積極的に乗客への聴きこみをし、時には推理をめぐらす。役割り分担的には、少年二名が頭脳労働で、佐伯大尉が肉体労働といったところだ。前作では少年が狂言回しの役だったが、今回は少年少女を実質的な主人公に据え、彼らへ戦争がもたらした悲劇を描いていく。このことは、若い人にも戦争のことを考えてほしいという水野氏の狙いがあるようだ。前二作でも、戦争体験者の時代を超えた憎しみや絆を描いてきたが、山下大将の命を狙う理由として後付けしたようなものであり、感情移入するには掘り下げが不十分だった。しかし、今回は、兄妹の絆と少年少女の恋心に的を絞り、山下大将の出番を縮小してまで、それを描くことに集中している。また、それらの感情が事件の動機やトリックに直結しているところも、脚本として良くまとまっている。
物語の後半になり、シベリア超特急のミステリーの真相が次第に明らかになってくる。謎の解説のために、過去の出来事がフラッシュバックされるのは毎度のことだが、今回は、現在からシベリア特急の事件を回想しているという構造であるため、少しややこしくなってくる。1941年で独自に行なわれる謎解きに加えて、2002年視点から1941年の事件への真相究明があり、同じようにフラッシュバックを行なわれる。したがって、同じ出来事、同じシーンの反復が普通のミステリーよりも、過剰に行なわれるのである。実は、これがドラマへ説得力を与えることに大きく寄与している。一度引かれた線の上を幾度もなぞるかのような反復により、その場面を観客の強く印象付ける。同じシーンが繰り返されることには、多少のもどかしさがあるが、その一方で、そのシーンで描かれる出来事に対して、否応なしに考えさせられることになる。やや、強引ではあるが、粘り強い説得に折れるかのように、「戦争はいけないのだな」と、いつのまにか納得させられてしまうのである。
ドラマへの説得力に関して決定的なのは、クライマックスでの三田、宇津井の真剣な熱演である。追い詰められた宇津井と、食い下がる三田との芝居合戦は圧巻で、特に、憎しみと愛情という相反する感情を、短い出演時間の中で、全身を使って表現した三田の演技にはゾクゾクさせられる。贖罪と許容、そして、戦争の悲劇を超えた人間理解といった、「シベ超」が本来、伝えようとしていたメッセージが、ようやく観客のもとに届いたことに、うかつにも感動させられる。そして、一方では冷静に、「やっぱり役者ってスゴイのだな」と、感心させられたりもする。
重いテーマとメッセージがダイレクトに伝わってくるあたり、「シベ超」としてのアイデンティティを見失いかけているようだが、水野氏がプロの映画人として、ちょっとだけ色気を出したのかもしれない。観ている方としては、頼もしいような、気恥ずかしいような気分になるが、いずれにしても、うれしいサプライズであり、“シリーズ最高傑作”という公式見解にも頷けるのである。そして、このまま、本格的なドラマとして、寄り切るかと思いきや、そうはいかないのが、「シベ超」の素敵なところだ。そう、ラスト二回のドンデン返しなのである。このすっとんきょうなドンデン返しが、せっかく寄り切ったドラマを、再び“晴郎ワールド”という名の土俵へ引きずり戻してしまうのであるから、痛快なのだ。



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