本に夢中のいじめられっ子とその本の世界で冒険を繰り広げる勇士。
二つの物語が平行して描かれるファンタジー。

ネバーエンディング・ストーリー

THE NEVERENDING STORY

1984  西ドイツ/アメリカ

94分  カラー



<<解説>>

幻想文学の巨匠ミヒャエル・エンデの代表作「はてしない物語」を映像化した冒険ファンタジー。物語の主人公は、典型的ないじめられっ子の少年バスチアン。本好きの大人しい性格ゆえに、いじめっ子の標的になっている。そんなある日、バスチアンはひょんなことから「はてしない物語」という本と出会う。「はてしない物語」を夢中になって読むうちに、バスチアンは物語の中の世界に飛び込んでいき、ついには不思議な冒険を体験することになる。
しかし、映画版で描かれるのは、バスチアンが「はてしない物語」の世界にようやく飛び込もうとするところまでで、これは原作の前半部分にあたる。映画では、バスチアンの物語よりも、「はてしない物語」の物語の世界の登場人であるアトレーユの冒険に重点を置いて描かれることになった。テーマも、母親を亡くしてふさぎ込んでいたバスチアンが、アトレーユの冒険から現実に立ち向かう勇気と力を得ていく、というものに簡略化されている。原作者のエンデは出来に不満を持っていたそうで、原作とは異なるラストシーンをめぐっては、裁判沙汰にまで至ってしまった。従って、エンデの名はクレジットされていない。日米で公開されたのは、シーンがカットされた国際版で、オリジナルは102分。リマールによるキャッチーなテーマ曲とともにヒットし、原作から離れたオリジナル・ストーリーによる続編が二編作られている。
原作ファンおよびエンデ本人からの不評が示す通り、本作は原作ほど哲学的な示唆に富んだ作品では決してない。しかし、「はてしない物語」を読みふけるバスチアンを追体験することで、物語に夢中になっていた子供の頃を瑞々しく思い出させてくれるというだけでも、十分すぎる作品である。また、原作と切り離して観れば、自己実現という重要なテーマは不完全ながらも、現実と虚構の相互補完関係という観念的な内容を映像化したという点で、ファンタジーとしての完成度は高い。映像に関しても、SFXを駆使して描かれるファンタジーの世界やクリーチャーの造型は美しく、中でも白龍“ファルコン”の独創性は特筆もの。80年代のファンタジー映画の代表作のひとつと言える作品ともいえる。
原作ファンからの散々な批難に関わらず、映画版のファンは根強く存在する。ファンをひきつけて止まない本作の魅力。それは、純アメリカ映画にはありない“物憂さ”にあるのかもしれない。まず、バスチアンのいる現実でも、アトレーユのいる物語世界でも、冒険や困難と向き合う時はひとりぼっちである。協力者や相棒がほとんど現われないというのは、この手の冒険ファンタジーでは珍しいのではないだろうか。ファルコンという名の龍が味方として登場するものの、冒険に寄与するのは主に移動手段としてであり、常にアトレーユは孤独な戦いを強いられることになる。また、登場人物の進歩のなさや、ネガティブな言動にも注目したい。勇士アトレーユは非力な上に弱音ばかり吐き、なんの活躍もしない。終盤にかけてのやりきれない展開は、今観ると、子供向けだったとは思えないほどだ。しかし、そのアンチ・ヒロイズムが日本人の感性にも合い、また、現実世界でヒーローではない大多数の観客の共感を呼んだことが、ヒットにつながった要因なのかもしれない。



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