殺し屋家業から足を洗い静かに暮していた老境のガンマンが、
賞金のために再び銃を手にする姿を描く西部劇。
許されざる者
UNFORGIVEN
1993
アメリカ
131分
カラー
<<解説>>
現時点で、クリント・イーストウッドが最後に出演した西部劇。物語は、かつて冷酷非道な殺し屋と恐れられた主人公が、金のため、いや、自らの誇りを取り戻すために銃を手するというものでる。それは、ジョン・ウェインが西部劇のヒーローとして、自ら幕を引いた『ラスト・シューティスト』に通ずるものがあのがある。夕暮れの場面が非常に印象に残る作品であるが、その人生の黄昏を連想させる美しい映像から思われるに、やはり、イーストウッドにも本作を最後の西部劇にしようという意図があったのかもしれない。
『ヤングガン』から始まった90年代の西部劇リバイバル(ネオ・ウエスタン)では、西部開拓史上で有名な事件を史実に基づいて描くというスタンスのものが多かった。しかし、本作は、史実を追及するのではなく、人間を追及するところで、多くのネオ・ウエスタンとは一線を画している。本作は、人を殺すガンマンの心中をリアリズムに拘って描ことで、虚像としての西部劇のヒーローの人間性に迫っている。しかし、それだけに、『ラスト・シューティスト』と同様、往年の娯楽西部劇の存在が必須の前提となり、単体として本作を評価することは難しくなっている。
往年の娯楽西部劇を前提として観るならば、イーストウッドの出世作『荒野の用心棒』や『続・夕陽のガンマン』の後日談と思われるような内容だ。『ペイルライダー』の主人公は、前述の作品の主人公がガンマンとしての人生を貫き通したような人物だったが、本作の主人公はそれとは対象的。主人公マニーは、妻と子供を持ったことをきっかけに、ガンマンとしての自分を潔く切り捨てている。ここで普通の娯楽作ならば、すぐにかつての勘をとり戻すはずだか、そうはいかない。射撃はヘタクソだし、馬からすぐに落ちるのである。
情けない主人公の姿や、淡々としたストーリー展開は、西部劇としていきなりこれを観た観客は戸惑ってしまうかもしれない。しかし、意外にもストーリーは往年の娯楽西部劇のそれを真っ正直になぞっている――お約束の射撃練習シーン。心の支えであった親友の非業の死。凶悪な保安官との直接対決――作品を捧げたセルジオ・レオーネとドン・シーゲルへのオマージュももちろんあるだろう。しかし、ただのモノマネだけで終わらず、そこにイーストウッドらしい捻った解釈が加えられているところが優れている。それは、イーストウッド独特のアイロニーで英雄の真実に迫る部分で、中盤から登場する伝記作家は、まさにその象徴といえるだろう。
ストーリーはこちら