某寺を至上の美と信じる男のとった行動とは。
三島由紀夫「金閣寺」の映画化。

炎上

1958 日本

99分  モノクロ



<<解説>>


市川崑の監督により、三島由紀夫の小説「金閣寺」を映画化した作品。グロテスクな人物描写とモノクロの映像美のコントラストが秀逸で、彼の最高傑作のひとつと言われている。主演は映画俳優デビュー以来、時代劇の出演がメインだった八代目市川雷蔵で、吃音症のナイーブな青年を好演。この演技が評価されてスターとして確立した。物語の舞台となる寺は、金閣寺からの許可が得られなかったため、“驟閣”という架空の寺になっている。
劇中で語られる「猫の奪い合いを見かけた侍が、争いの元になった猫を斬り捨てた」という寓話が暗示するとおり、無垢な主人公は、執着(しゅうじゃく)にとらわれる周囲の人々の目を開かせるため、永遠の美の象徴を無常の心で破壊しようとする。このように仏教的要素が強い物語であるが、そこに描かれた青年特有の悩みは普遍的。劣等感、孤独、世間への幻滅。それらの克服にもがき苦しむ様は、下手に主人公に寄り添えば陳腐になるが、リアリズムで突き放すように描いたところがかえって説得力を与えている。



<<ストーリー>>

青年・溝口吾市は、成生岬の寺の住職であった父・承道が死んだあと、京都の驟閣寺に預けられることになった。驟閣寺は父が最も美しいと語っていた寺であり、父の影響で溝口もその寺に強い憧れを抱いていた。
溝口は、父の親友である驟閣寺の住職・田山道詮老師に迎え入れられ、彼の徒弟として修行することになった。だが、吃音のある溝口はそのことに劣等感を抱いていて、自分が寺を継げるものとは、まったく思っていなかった。
溝口は、老師に大学まで通わせてもらったが、前途に希望の彼にとって、学生生活は面白いものではなかった。また、寺での生活も不快なものでしかなかったが、同じ徒弟である鶴川にだけは心を許していた。彼は吃音を馬鹿にしない唯一の男だった。だが、鶴川は事故死してしまい、溝口は孤独になった。
溝口は、母・あきが父の生前から他の男と関係を持っていたことを知っており、そのことで母を憎んでいた。そんな母が、炊事係として驟閣寺に住み着くことになった。溝口は、不貞の母により寺が汚されるようで我慢がならなかった。汚れについては、老師も無関係ではなく、彼には乱れた私生活の噂があった……。