身元不明の他殺体の背後に、ハンセン病にまつわる愛憎の物語が隠されていた。
松本清張原作の重厚なサスペンス・ミステリー。
砂の器
1974
日本
143分
カラー
<<解説>>
『影の車』に続き、野村芳太郎が松本清張の小説を映画化した作品。このコンビとしては四作目となる。ハンセン病への偏見と差別のために起ってしまった悲劇を、日本全国をまたにかけた空間的、また、数十年におよぶ時間的スケールで描く。被害者であり社会的弱者であったはずの人間が、運命のめぐりあわせにより加害者となってしまう。犯罪を人にではなく社会に問い続けてきた松本清張の面目躍如のストーリーである。
本作は、殺人事件を扱ったサスペンスものなのに旅の場面がだらけで、血なまぐさい場面がほとんどないのが特徴。物語の前半は、全国を渡り歩いて捜査をする刑事の姿が旅情的に描かれる。旅の場面はサスペンスものであること忘れるほどロマンティックである。サスペンスで紀行を取り入れるという、テレビの二時間ドラマのフォーマットの原型と言えるかもしれない。そして、後半は、音楽家の公演の場面に、幼い彼が父親と続けた旅の回想が重なる。またも旅であるが、親子の絆を走馬燈のように繰り広げたシーケンスは映画的な興奮と感動があり、この瞬間、本作はサスペンスを越えた。時系列で描けばいたずらに長大なりかねない話を、時空を折り畳むようにまとめた橋本忍と山田洋次の脚本と、それを映像に落としこんだ野村の演出は完璧と言っても良い。また、ミステリーものが陥りやすい後半のくだくだとした長広舌は、潔く字幕で処理される。これに絵巻物的な効果的があり、壮大な内容の相性がよく、とてもうまく収まっている。
本作から三年後に公開される『人間の証明』との類似がしばしば指摘される。テーマやスケール感はもとより、捜査過程と過去の因縁を並走させるように描き、探偵役が事件関係者たちの人生を追体験せるような構成は、確かに似ている。謎の言葉から真相を手繰り寄せていくミステリーもしかり。時代が豊かさを極め、過去を総括するようなこのような物語が求められるタイミングだったということか。
<<ストーリー>>
東京で殺された身元不明の男は“カメダ”という東北訛りの言葉を残していた。捜査本部の刑事・今西と吉村は、東北にある亀田という村へ調査に向かうが、まったく手がかりがつかめなかった。
迷宮入りのまま捜査本部が解散されてしばらくした頃、突然、被害者の息子が名乗り出た。被害者は伊勢参りに出かけていた三木謙一であることが判明。だが、彼の東北との関連は認められなかった。
東北と島根の出雲の訛りが似ていることを知った今西は、島根に「亀嵩(かめだけ)」という地名を発見し、現地へ調査に向かった。そこは、かつて三木が警官に就いていた村であったが、彼は人格者で知られおり、殺される理由はまったく見つからなかった。今村が得た情報は、村へやってきた本浦千代吉という癩病患者の息子・秀夫を三木が養子にしていたということだけであった。
三木の旅の足跡を辿り、伊勢にやってきた今村は、三木が何度か訪れたという映画館で、ある写真に目を留めた。それは、著名な天才音楽家・和賀英良の写真だった。今村は、映画館を出た三木がなぜか東京に向かっていることにひっかかった。
一方、吉村は、山梨で見つかった三木の血痕の付いたシャツの切れ端から、それを捨てていたホステス高木理恵子を追っていた……。