宇宙時代の未来を舞台に、スペースコロニー間の戦争に巻き込まれ、
巨大ロボット兵器のパイロットして戦うことになった少年たちの姿を描く。
社会現象的人気となったロボット・アニメの金字塔の劇場版三部作の第一部。

機動戦士ガンダム

( 機動戦士ガンダムT )

MOBILE SUIT GUNDAM

1981  日本

137分  カラー



<<解説>>

SFロボット・アニメの劇場版三部作の一作目。劇場版のもとになったテレビ版は、これまで小学生以下の低年齢層に絞っていたロボット・アニメのターゲットを、中学生以上の層にも広げることを目指して企画されたものである。物語は本格的な戦争ドラマであり、宇宙の政治的な統一を維持しようとする地球連邦と、そこからの独立を望む公国との間の価値と利害の対立が背景になっている。勧善懲悪で割りれない物語は、正義の巨大ロボットが世界征服を企む悪を挫くといったSFロボット・アニメの定型と較べるとかなり難解である。
舞台となる宇宙世紀で“一年戦争”と呼ばれる戦いの戦記というのが主軸であるが、視点は、スペースコロニーから避難してきた民間人ながら、選択の余地なく宇宙戦艦の乗組員にさせられた少年たちである。宇宙と地球をまたにかけた戦艦の航海記でもあり、同時に、戦艦に乗り合わせた少年たちの青春群像という面もある。軍の組織の力学に翻弄される少年たち、極限状態の中での確執と衝突、そして、唐突に訪れる仲間の死。それら戦争の不条理が、熾烈な戦闘シーンの合間に描かれており、その緊張感から来る重苦しいトーンが全体を覆っている。物語の後半では、“ニュータイプ”と呼ばれる第六感(後述するレーダーを使えない戦場では、戦闘に有利に働く)の持ち主を巡る物語へと少しずつ位相が変化していく。よりSF的な内容にシフトすると共に、前半の重厚なトーンから多少の変化が見られる。
メカニックデ・ザインも画期的であり、SF小説の名作であるハイライン「宇宙の戦士」に登場するパワードスーツをヒントに、これまで高層ビル級の大きさの主流だったロボットを数階建て程度の大きさにデザインした。ロボットの呼称も「宇宙の戦士」にあやかり、“モビルスーツ”としている。また、兵器が人型である必然を説明するために、レーダーが使用できなる“ミノフスキー粒子”なる架空の物質(つまり、戦闘は主に白兵戦となる)を導入するなど、SF考証にリアル指向を持ち込んだ。巨大ロボットが天才科学者や超科学の産物であった従来ありがちな設定に対し、軍事産業の企業が設計、試作、量産する製品であり、パイロットやエンジニアによる補給や整備が必要とするという技術的な設定は、後に“リアルロボット”路線と呼ばれるようになった(内部の機構はともかく、現実に建造可能であることは、お台場の等身大ガンダムで証明されている)。
本作で最も注目すべきは、主人公の少年アムロ・レイのキャラクターだろう。対象年齢を引き上げたことに影響していると思われるが、視聴者でるあ少年を投影させる主人公としては後ろ向き過ぎる態度が画期的であり、「新世紀エヴァンゲリオン」までも引き継がれるひとつの類型となった。アムロがこのような態度であるのは、元来そのような性格であるからだとしても、決してメンタルが弱いわけではない。実際、アムロと同じ年代で、同じ状況に置かれた場合、誰もがそういう態度になるというような迫真性があるのである。「鉄人28号」以来、巨大ロボットを操って戦うという設定は、子供が生身のまま戦闘に参加するという物語を作ることに成功した。その点は変身ヒーローでも同じであるが、戦闘に対する姿勢とその結果が大きく異なっているのである。変身ヒーローは変身することで特別な力を得ているとは言え、ほぼ剥き身で戦うのであり、ダメージを受ければ怪我も負う。一方、巨大ロボットは大きな殻を纏って戦うのであり、殻に多少のダメージを受けても本人の肉体が傷つくことはまずない。ただし、殻のダメージが致命的な場合は、殻の崩壊に巻き込まる形で本人も致命傷を負うことになる。変身ヒーローであれば、鍛錬により技に磨きをかけることもできるであろう。しかし、ロボットのような機械の場合はほぼその性能で優劣が決まってしまう。性能が拮抗したきとは、一瞬の判断ミス、あるいは、運の良し悪しが生死を分けるのである。安全か、さもなくば死というデジタルな世界。本作が戦争をリアル描いているようで空虚に感じられるのはこのせいだろう。肉体が傷つかない闘いの結果を心の傷として表現したのがアムロの態度なのである。ガンダムに乗っていくら活躍しようが、肉体を使っていない以上、実感が得られず自己肯定はいっこうに満たさない。しかし、有能なパイロットしての自負は人一倍持っているため、戦闘を終えるたびにガンダムから離れても、承認欲求には抗えずに再びガンダムに戻ってきてしまう。この牢獄のような繰り返しの中で身悶えるアムロの姿は痛々しいが、ここで登場するのが“ニュータイプ”という概念である。この概念はロボットは性能という限界があるという問題を人間の側から克服するものであり、物語の後半では“ニュータイプ”に目覚めて急成長するアムロの姿を視ることができる。“ニュータイプ”のような超能力の設定は、一見するとリアルロボットの交渉を毀損するようであるが、人間の救済というドラマを描くことに寄与した秀逸な設定と言えるだう。
1979年のテレビ放映開始時からしばらくは視聴率がふるわず、打ち切りが決定されるが、アニメ雑誌の投票で一位を獲得するなど徐々に人気が高まり、再放送でも高い視聴率を得た。その人気をうけて、翌年にはモビルスーツのプラモデルが発売。続いて公開されたのが本三部作である。テレビ、ホビー、劇場版のメディア・ミックスが人気と評価を不動のものにし、1985年には待望のテレビ版の続編が放映。その間にも外伝や派生作が小説、漫画、オリジナル・ビデオで相次いで発表された。現在も人気は衰えておらず、新作が作り続けられている。複数の作家により同時多発的に関連作品が創作されて、一つの物語大系を形作っていくという形式は、ファンタジーにおけるクトゥルフ神話やアメコミ作品間のヒーローのクロスオーバーが挙げられるが、現在進行形で広がりを続けている作品は、日本においては「ガンダム」が唯一である。なお、テレビ版一作、および、劇場版三部作の物語は、ガンダム大系内では宇宙世紀シリーズの一作に位置付けられている。
劇場版の内容はテレビ版の再編集であるが、新たに撮影されたシーンも加えられている。物語は整理される共に矛盾も修正されている。メインの物語と直接かかわらない挿話的な放送回はカットされ、順番も適宜入れ替えられている。第一部である本作は、第一話から第十三話までが反映されているが、第三、四、七、八、十一話は一部または全部がカットされ、第十三話は、第十二話の前に置かれている。テレビ版のエピソードを繋げただけあって、ガルマ・ザビの悲劇や、第二部の強敵であるランバ・ラルの顔見世など、見せ場にことかかない。しかし、起承転結が何度も繰り返されるめまぐるしい展開であり、一本の物語としての起承転結がないため、初見で内容を咀嚼するのは難しい。テレビ版にあった物語の基本設定の説明が割愛されていたり、主人公以外のパイロットの描き込みが足らないため、居ていなくても同じであったりと、脚本上の不備や冗長が散見されるところも初見には厳しいものがある。また、ほとんどがテレビ版そのままの素材であるため、アニメ―ションの品質がスクリーンに映すものとしては厳しいレベルである。少年兵たちの漂泊の物語の序章とは言え、彼らの旅の目的がぼんやりしたまま終わる点を見ても、テレビ版のファンでないかぎり、作品単体としての満足は期待できそうにない。製作者のその意図があったかどうかは不明だが、結果的には、テレビ版を一通り見ている前提の観客に、テレビ版の内容を復習させ、補足させるという目的は十二分に果たしている。ビデオデッキがまだ家庭に普及しいいなかった当時、観客にとっては、再々放送の代わりとしては有り難いものだったろうと思われるが、それ以上に映画にする意味があったかどうかは疑問が残る。



<<ストーリー>>

人類が増えすぎた人口を宇宙に移住させるようになってから半世紀。地球の周回軌道上には無数の巨大なスペースコロニーをが浮かんでいた。コロニーの円筒の内壁を人工の大地とした宇宙都市が築かれ、人類はそこを第二の故郷とした。宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市“サイド3”はジオン公国を名乗り、地球連邦政府を相手取り独立戦争を挑んだ。一ヶ月あまりの戦いで、ジオン公国と地球連邦の双方は総人口の半数の犠牲を出していた。そして、戦争はこう着状態に陥り八か月が経過した。
連邦軍は独立戦争の劣勢を打破するため、新鋭のモビルスーツ(人型の巨大戦闘兵器)“ガンダム”と宇宙戦艦“ホワイトベース”の開発、称して“V作戦”が密かに進められていた。量産したガンダムをホワイトベースに搭載させれば、戦況は一気に好転することが期待されていた。連邦軍から“赤い彗星”と恐れられるジオン公国軍の士官シャア・アズナブル少佐は、V作戦の情報をキャッチし、ガンダムの部品を積み込むためにコロニー“サイド7”に向かっていたホワイトベースを追跡。そして、部下に命じてモビルスーツ“ザク”でサイド7の偵察に向かわせるが、斥候の一人が手柄を焦り、指示になかった連邦のモビルスーツの破壊をはじめた。ガンダムの開発に関わった技術士官テム・レイ大尉の息子で、サイド7に暮らす機械好きの少年アムロ・レイは、避難命令を受けてガールフレンドのフラウ・ボウと一緒に退避カプセルの中にいた。異常な振動を感じ戦闘が開始されることに気付いたアムロは、民間人のホワイトベースへの避難を父に頼むため、カプセルの外に飛び出した。初めて目の当たりにするザクに圧倒させながら父を探すうち、ガンダムの極秘資料とザクの砲撃を免れていたガンダムを発見した。その時、アムロを心配して後を追ってきたフラウが戦火に巻き込まれて目の前で家族を失った。呆然自失となったフラウをホワイトベースに向かわせたアムロは、ザクに立ち向かうことを決意し、ガンダムに乗り込んだ。拙いながらも天性の勘でガンダムを操縦したアムロは、その性能を前に恐れをなして退却するザクに追いすがり、ビームサーベルで一刀両断にするのだった。
軍に入隊して半年で宇宙の経験もない若き士官候補生ブライト・ノア少尉は、避難してきた民間人を港に受けいれた。また、コロニー内での戦闘で正規の技師を失ったていため、ガンダムと関係部品の運搬をザクを倒した正体不明のパイロットに命じた。避難民の強力を得ながらホワイトベースの出航の準備を進めていたが、シャアの戦艦“ムサイ”からの激しい砲撃で軍人が次々と死傷し、自ら砲撃手として防戦していた艦長までも重傷を負った。負傷兵の中で戦闘に耐えられるものは数名となったため、艦長直々の指名でブライトがホワイトベースの指揮を任させることになった。また、その場にいた、宇宙船舶のライセンスを持つミライ・ヤシマが操舵手を申し出た。ブライトと艦長はガンダムに乗っていたのが少年であることを知り驚愕するが、アムロを信じ、ガンダムの機密がジオンに渡らないよう、まだコロニーに残っている部品を残らず破壊することをに命じた。一方、シャアはドズル中将に弾薬とザクの補給を求める代わりに、V作戦の情報を持ち帰ることを約束。帰還に成功した斥候の案内で自らサイド7に潜入したシャアは、ガンダムの部品を調べているところを、逃げ遅れた民間人を探していた避難民セイラ・マスに見咎めれた。シャアはセイラが生き別れた妹のアルテイシアに似ていることに驚き、セイラもヘルメットとマスクを取ったシャアに兄を顔を見て呆然とした。そこへガンダムが現れたため、シャアはサイド7を脱出した。宇宙空間へと出航するホワイトベースをアムロはガンダムの援護。そうはさせじとザクで艦に迫るシャア。アムロはシャアと一騎打ちとなるが、アムロにとっては初めて意識した実戦であり、歴戦の戦士であるシャアに翻弄されるばかりであった。帰艦したアムロはブライトに労われるどころか戦い方を罵倒されたため、彼に強い反発心を抱くことになった。
宇宙都市建設用の鉱物資源採取のため運ばれてきた小惑星“ルナツー”には、連邦軍の最前線基地があった。基地にホワイトベースを寄港させたブライトとミライは、指令に避難民の収容を願い出るが冷たく断られた。自分たちが素人の集まりであるという抗弁も、実戦を潜り抜けたという既成事実をもって退けられ、このまま地球の地球連邦軍本部“ジャブロー”へ直行するよう命じられた。しかし、指令はジャブローまでたどり着く公算が薄いだろうと考えていた。連邦側の状況は老人や少年といった素人まで動員せざるを得ないほど逼迫していたのだ。かくして、ルナツーを出航したホワイトベースは、護衛艦“サラミス”の誘導で大気圏へ突入することになった。一方、シャアは敵が突入に集中している今こそ攻撃の機会だと考え、補給した四機のザクでホワイトベースに奇襲をかけた。なし崩し的に戦争に参加させられていることに不満を持ちつつも出撃したアムロの任務は、できるだけザクを引き離すことだったが、シャアの電光石火の攻撃に抗うのが精いっぱいで、大気圏で活動できる四分の制限時間を超えてしまった。ムサイの大気圏用カプセル“コムサイ”に収容できなかった一騎のザクは大気の摩擦熱で大破。ガンダムも同じ運命をたどるかに思われたが、アムロが咄嗟に探し出した耐熱用の装備を駆使することで無事に大気圏を突破した。
ホワイトベースとガンダムを討ち損じ、地球への降り立つことを許したシャアは、ジオンの総裁であるザビ家の末子で、士官学校の同窓であるガルマ大佐に連絡。ザビ家の人間として武勲に焦るガルマをそそのかし、彼の指揮する攻撃空母“ガウ”でホワイトベースを迎撃させようという企みだった。ホワイトベースがジオンの勢力の只中にあることを知ったブライトは、シャアに嵌められたことに気付いたが、時既に遅くガウと戦闘機ドップが上空に迫っていた。救援を呼ぶことも叶わないため、ホワイトベースはガウを避けて低空で飛びながら海への脱出を試みていたが、地上からはジオンの戦車“マゼラアタック”が迫り、はさみうち状態に。そんなとき、頼みの綱のアムロは、戦闘の恐怖に嫌気がさして自室にこもっていた。恐れを抱いていたのは乗組員全員の命を預かるブライトも同じだった。彼は任務を拒否するアムロを上官らしい居丈高なポーズで一喝するが、かえって二人の間の溝を深めてしまうことに……。