人間の罪科を見つめ続ける一頭のロバの生涯。
バルタザールどこへ行く
AU HASARD BALTHAZAR
1966
フランス/スウェーデン
95分
モノクロ
<<解説>>
素人の出演と説明を廃した脚本に拘り、独自のリアリズムを追求し続けた映画作家ロベール・ブレッソンの七作目。素人に演じさせるのに飽きたらず、そのストイシズムはついに主人公に一頭のロバを選んだ。一点の曇りのないロバのバルタザールの目を通じ、彼を取り巻く人間たちの罪や欲を描いた、哀しくも美しい作品。
いつくかの人間たちドラマが描かれているが、どのドラマもことごとく悪いほう悪いほうへ事態が動いていき、結末は救いのないものばかり。そして、バルタザール自身の物語も……。一見、難解な作品だが、あまり穿って考える必要ななさそうである。本作におけるロバとはいったい何なのか。西洋においてロバは愚かさの象徴であるが、それ以上の意味はなく、どこまでも健気なロバと、生きてるだけで罪な人間たちとの対比が全てと言ってもいいのかもしれない。
動物目線の物語と言って真っ先に思いだされるのは、夏目漱石の『吾輩は猫である』であるが、あの小説のように人物や事件についての批評が一切ないのが本作の特徴である。謂わば、意味を排除したいが故に、“愚かな”ロバが主人公なのであろう。つまりは、『吾輩』というより、横光利一の「蠅」に近い趣なのである。ロバはただ、目の前で繰り広げられる人間の所業を見つめるだけ。目撃者であるロバが人間へ積極的にかかわるようなこともない。人生とは往々にして不条理であり、それはいっさいの意味づけを拒絶する。我らがバルタザールの目は無垢であるだけに、その人生の真実を残酷に切り取っていくのである。
<<ストーリー>>
ピレネー地方の小さな村農に生まれたロバは、農場に引き取られ、“バルタザール”と名付けられた。その農場の息子ジャックと、教師の娘マリーとは、幼いながらも将来の結婚を誓う仲だった。だが、ジャックの妹が亡くなったのを期に、農場の一家は引っ越していった。
十数年の時が経ち、鍛冶屋に引き取られ働かせられていたバルタザールは、労働の苦しさに耐えかね、農場に逃げ込んだ。現在農場は、ジャックの父のすすめにより、マリーの父が管理をしていた。マリーは、バルタザールを引き取り、たいそう可愛がるのだった。
不良グループのリーダ、ジェラールは、マリーに恋心を抱いていたため、バルタザールにはげてく嫉妬した。そして、バルタザールを勝手に連れ出しては、家業のパン屋の配送のため、むりやり連れまわしたすようになった。
村にジャックが帰ってきた。ジャックはマリーに、いつかの結婚の約束を果たしてくれるよう、迫った。突然の結婚の申し込みに困惑し、ジャックを拒んだマリーは、自棄的にジェラールの誘惑に身を任せしまった。それから、マリーは不良たちとつるむようになった。
ある日、ジェラールたち不良グループは、一人の浮浪者、アーノルドと共に、殺人の容疑で警察の出頭命令を受けた。容疑が晴れて釈放されたアーノルドは、不良グループから「人殺し」呼ばわりされることに。
その頃、バルタザールはジェラールの持ち物になっていた。だが、扱いはひどく、寒空の元で小屋も与えられずにいたために、バルタザールは倒れてしまった。それを不憫に思ったアーノルドは、バルタザールを引き取るのだった……。