銃密売の金の運び屋という裏の顔を持つスチュワーデス、ジャッキー・ブラウン。
警察におとり捜査を強要され彼女は金の持ち逃げを企む。

ジャッキー・ブラウン

JACKIE BROWN

1997  アメリカ

154分  カラー



<<解説>>

エルモア・レナードの小説「ラム・パンチ」の映画化で、タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』に続く三作目。七十年代に『女記者フライデー 謎の暗殺計画』『フォクシー・ブラウン』などのサスペンス・アクションで活躍した黒人女優パム・グリアを主演に迎えた。その他のキャストは、タランティーノ作品の常連サミュエル・L・ジャクソン、パム・グリアと同じく七十年代B級映画のスター、ロバート・フォスターに加え、ロバート・デ・ニーロ、ブリジット・フォンダという豪華な顔ぶれ。
主人公ジャッキー・ブラウンはメキシコのスチュワーデス。実は彼女には、麻薬取引の売上金の運び屋という裏の顔があった。ある日、警察に金が見つかり逮捕されたジャッキーは、武器密売人の逮捕のため、囮として警察に協力させるれる羽目になったが、この機会を逆手にとって、金を持ち逃げしようと企む。こうして、ジャッキー・ブラウン、武器密売人、警察との間で、三つ巴の駆け引きが始まる――ストーリーも雰囲気も七十年代当時のB級映画を意識し、パッケージされた作品である。映画オタクの監督の個人的な趣味によるものだが、ただの懐古に留まっていない。当時のままの物語を現代人の感覚で解釈し、闘争の果ての孤独を静謐な映像に捉えた内容はA級である。
タランティーノは新作が公開させるために大々的なプロモーションを展開するため、映画ファン以外でも知名度は高い。メディアへの露出も多い本人のあの特異なキャクターもお馴染みである。しかし、それだけに彼の作品へのイメージが独り歩きしている感はある。過激なバイオレンスを、イカした音楽とスタイリッシュなファッションで彩りながら、派手に軽快に見せていく。たぶん、そんなような思われているのかもしれない。実際プロモーションでは、豪華キャストやサントラばかりが大々的に紹介されるため、とっつきやすいとまでいかないが、少なくとも小難しい映画とは思われていないはずである。
しかし、『パルプ・フィクション』や本作を観ると、そういったタランティーノの作品のパブリックなイメージは、まったく見当違いであることが分かる。そこには、派手さも軽快さもない。物語は滞りなく確実に進展していくのだが、淡々としているというか、実にマイペースなのである。売りのバイオレンスは必要最小限であり、観客に対するサービス精神がないのだろうかと訝ってしまう。場面を盛り上げる劇伴や効果音がほとんどないということが、いっそう映画に地味な印象を与える。音楽がないわけではなく、寧ろ、拘りの選曲で随所に散りばめられているのだが、カーステレオや商店の館内放送で流れるという場合がほとんどなのである。監督が映像の力を信じているからなのだろうが、映像に合わせて音楽が付くということに慣れさせられているしまっている現代の観客には、やはり、地味な印象を与えるのである。
本作は地味で淡々としている上に、二時間半強の長丁場である。ところが、本作はまったく飽きさせず、それほどの長さを感じさせない。世の中には、本作と大差ないストーリーで百分に満たないにもかかわず、三時間くらいに感じられる映画もある中、これはどういうことかと言うと、時間の流れを意識していた丁寧な演出と編集が施されているからである。『パルプ・フィクション』は時制を大きく入れ替えた大胆な構成であったか、本作は概ね事件の順序通りに語られていく。クライマックスでは若干、時制が前後するが、これは、観客に時刻を意識させる効果を狙ったものである。しかし、ここで述べたいのは、観客に与える心理的な時間感覚についてである。
タランティーノの妙の一つは登場人物の意味ありげな会話や画面の端々に登場するちょっとした洒落といった遊びである。例えば、メラニー役のブリジット・フォンダがバカにしながら眺めているテレビ番組は、彼女の父親ピーター・フォンダの出演作だったりといった具合に。そういった遊びは楽しいし、観返すたびに味が出るものである。しかし、シーンが長くなってくると、どうしてもかったるくなってくる。そして、そろそろ限界かな、と感じた瞬間に次の場面に移る。このタイミングが実に絶妙。なんだか前置きが長いなあ、と思った瞬間に怒涛のクライマックス。クライムものとは大人し過ぎるかな、と思った瞬間にデ・ニーロ発砲。この引き延ばしと切り替えの連続が心地よく、淡々としているのに長さを感じさせないのである。もちろん、このような演出や編集は映画製作の基礎なのだが、タイミングやテンポはタランティーノ独特。彼はサービス精神がないけでも、マイペースでもなかった。個人的な趣味の強い作品ばかり作っているが、常に観る者の心理を計算に入れ、即ち、観客目線で客観的に自作と向き合っているのである。そして、それこそが、彼の作品の眼に見えない魅力のひとつなのではないだろうか。



<<ストーリー>>

メキシコの航空会社のスチュワーデス、ジャッキー・ブラウンは、銃器商人オデールの売上金をメキシコからアメリカへ運び込む、裏の副業を持っていた。
ある日、ジャッキーは、火器局の捜査官レイに金を発見され、麻薬の密輸の疑いで逮捕、投獄されてしまった。以前にも同じ容疑で逮捕されために、国内線で働けなくなっていたジャッキーには、もう後がなかった。だが、彼女はすぐに、保釈金専門の金融業者マックスによって救い出された。レイが自分の逮捕を狙っていると知ったオデールが、マックスに依頼したのだ。また、ジャッキーは、オデールが保身のために、自分を始末しようと密かに企んでしていることも知ってしまった。
マックスと相談したジャッキーは、火器局に協力し、囮捜査として、オデールの五十万ドルを運ぶことを決意した。だが、彼女には、この囮捜査を利用して、オデールの金をマックスと一緒に持ち逃げするという、別の計画も考えていた。一方、オデールは、マックスと何度も接触しているジャッキーに不審の目をむけていた。
一回目の金の受け渡しは、アメリカ側にあるショッピング・モールで行われることになった。オデールは、念のため一万ドルの入った紙袋を摩り替えておくが、紙袋を受け取った女は、そのまま行方をくらましてしまった。そのため、二回目の受け渡しには、オデールの愛人であるメラニーが向かうことになった。
ジャッキーは、この二回目の金の受け渡しの時に、計画を実行に移すことにした。彼女は、メキシコから運び込んだ五十万ドルのうち四万ドルだけ、受け取りにきたメラニーに渡し、さらに、残った金の半分を受け渡し現場に置き去りにし……。