ある街で起こる二組のギャングの抗争を一人の流れ者の視点で描く。
黒澤明『用心棒』を翻案したハードボイルド・アクション。
ラストマン・スタンディング
LAST MAN STANDING
1996
アメリカ
101分
カラー
<<解説>>
ウォルター・ヒルが黒澤明の名作『用心棒』をブルース・ウィリス主演でギャング映画としてリメイクした作品。舞台は禁酒法時代である20年代のアメリカの西部。二組のギャングが敵対する街に現れた正体不明の流れ者の男が、喧嘩の腕を買われて仲間に引き入れられたことから、組織間の抗争が激化していく様をドライに描いていく。『用心棒』にインスピレーションを与えたダシール・ハメットのハードボイル小説「血の収穫」は、20年代の作品で西武が舞台。それを知ってか知らずか、本来の姿に先祖返りしたとも言える。
知る人ぞ知る作品のリメイクであるならともかくとして、誰もが知る名作のリメイクともなると、話題性で実利は得られはしようが、作品としての評価については、オリジナルとの比較によって非常に厳しいものとなる。ことに、『用心棒』のように大作家の代表作の一つであり、作品自体が作家のイメージを決定づけているようなものとなれば、なおのこと。ゴッホの「ひまわり」が素晴らしいからといって、あの絵を真似るような愚行である。そんなことはウォルター・ヒルのようなプロならば百も承知だったはずであるが、そこは、資金を募るための大人の事情というものだろう。
舞台をアメリカの西部に移してはいるものの、プロットやエピソードは意外なほどオリジナルに忠実である。主人公のスミスが二丁拳銃であることは、『用心棒』の三十郎が敵を必ず二度斬ったことを暗示しているし、『用心棒』に登場する鉄砲の使い手が、本作においてはマシンガンの使い手になっている。発想はパロディ的ではあるが、オリジナルに配慮した設定であるし、上にも述べたように元がアメリカの小説だっただけに、世界観に実にしっくりくる脚本に仕上がっている。翻案がうまくいき、新しい作品として生まれ変わったという意味ではリメイクとしては成功と言えるかもしれない。
しかし、あの『用心棒』を期待するとなれば成功とはほど遠い。『用心棒』の魅力はストーリーにあるのではなく、時代劇の常識を打ち崩した現代的なリアリズムと、主演の三船敏郎の圧倒的な存在感であったはず。いくら脚本がオリジナルを尊重していようとも、それだけで『用心棒』になるはずがないのである。剽窃作であった『荒野の用心棒』は、クリント・イーストウッドの存在感のおかげで、図らずも『用心棒』感は出ていたが、ブルース・ウィリスが主役という時点で『用心棒』を期待するほうが間違っていると言わざるを得ない。
ウォルター・ヒルが観せたかったのは人気スターのブルース・ウィリスが主演の活劇であり、観客としてもせいぜい『用心棒』のパロディくらいに割り切って観るべき作品である。『ダイ・ハード』で成功したウィリスは、その男くささをヒルに買われての主演と思われるが、この頃はやはり『ダイ・ハード』のコミカルなイメージが強すぎた。彼がいくらシブくハードなアクションを演じても、どうしたってコミックに見えてしまうのがなんとも歯がゆい。『ダイ・ハード』と『用心棒』に引っ張られてさえいなければ、非情なハードボイルド・アクションとして、十分楽しめるレベルの作品であったのではないだろうか。
<<ストーリー>>
流れ者のジョン・スミスがやってきた西部のある田舎町では、二つのギャング、ストロッジとドイルが対立していた。この対立が金儲けになると考えたスミスは、さっそくストロッジの側の用心棒になった。
スミスは、ドイルが酒の密輸に使っているトラックを奪う仕事に協力した。だが、ドイルの方が儲かりそうだと踏むと、ストロッジの情婦ルーシーに探りを入れ、盗んだトラックで密輸を行う計画を知った。スミスは、ドイルの側に寝返り、ストロッジの密輸計画のことを教えた。
ドイルはストロッジの手下を捕らえて、密輸を妨害。ドイルにしてやられたストロッジは地団駄を踏み、スミスに情報を流していたのがルーシーだと知る……。