二・二六事件の首謀者たちは事件発生から投降までの三日間、何を思っていたか。
史実を基にした人間ドラマ。

226

1989  日本

114分  カラー



<<解説>>

昭和八年に陸軍皇道派の青年将校が千五百名近い兵士と共に起こしたクーデター未遂「二・二六事件」の顛末を、事件の首謀者である将校側の視点で描いた大作ドラマ。監督は五社英雄。萩原健一、三浦友和、竹中直人、本木雅弘等の豪華キャストはで送る。なお、本作は、プロデューサの奥山和由により、日本で初めて映画ファンド方式で製作された作品である。
『叛乱』(1954)以降、二・二六事件を題材にした映画は何本も作られているが、同事件そのものを扱った作品としては、最も新しい作品である。二・二六事件関連映画の多くは首謀者に対して同情的であり、本作も多分に漏れず、青年将校たちの心情にフォーカスを絞る。しかし、その気持ちの入り方が過剰なため、歴史劇的な重厚さを求めて観ると、肩透かしを食らうことは必至である。
事件のあらましの部分は史実に沿って描かれているが、青年将校たちの人物像には現代向けの翻案があるようである。すなわち、主人公である青年将校たちへの感情移入を促すため、彼らの感覚が非常に現代的に描かれているのである。事件の収束を意味する投降の勅令は、物語の半分を過ぎたあたりで早くも出され、そこから先は、殺伐とした前半から一変し、叙情豊かな展開になっていく。寧ろ、このくだりがメインなのであろう、いかにして将校たちが降伏を決意したかを回想を交えながら、五社英雄独特の美意識でたっぷりと描いていく。彼らの悩みというのが、愛する家族や妻や恋人のことが中心であるため、今日の我々にも理解しやすいし、その後の劇的な運命へのカタルシスへの移行もスムーズである。
青年将校の人間性を前面に出し、悲劇して完成させたドラマは、クーデターやテロリズムを美化しているとの批判を受けそうではある。実際、将校たちが事件を起さなければならなかった理由や、彼らの中に当然あっただろう理想と現実の間での葛藤といった、思想や論理の部分は抜けてしまっているのは重大である。しかし、日本人には、クーデターやテロリズムを人一倍憎む一方で、憂国の士による革命というものに――平和で安定している日本では起こりえないからこそ――憧れる心情があるようである。そうした観客のため、史実がどうこうといった議論とは別次元のピカレスク・ロマンとしての期待には、本作は十分に答えてくれる。



<<ストーリー>>

1933年(昭和八年)、満州への武力侵攻で国際的な批判を浴びた日本は国際連盟を脱退した。国内では、日本の孤立への不安、不況、貧困に苦しむ国民の不満が高まっていた。
同年二月二六日、野中大尉、安藤大尉ら皇道派の陸軍青年将校たちは、今こそ天皇親政の時と見て、「昭和維新」を掲げて千四百余命名の部隊と共に決起。国民の置かれている実情を天皇の耳に直接届けるべく、天皇を取り巻く岡田総理をはじめとした特権階級の者たちを次々と暗殺していった。
首相官邸、陸相官邸、警視庁と、国の中枢を瞬く間に制圧した決起部隊の勢いを前に、陸軍当局は決起を公式に承認する他はなかった。だか、特権階級と財閥の解体という決起部隊の要求は到底のむことが出来ず、翌二十七日、当局は戒厳令を布き、決起部隊の鎮圧に乗り出した……。