スペイン内戦を背景に小さな村に暮らす幼い姉妹の生活を幻想的に描く。

ミツバチのささやき

EL ESPÍRITU DE LA COLMENA

1973  スペイン

97分  カラー



<<解説>>

溝口健二の映画から芸術的啓示を得て、映画製作を始めたというスペインの鬼才ビクトル・エリセの二作目。デビュー先はオムニバス映画『挑戦』に提供した短編だったため、長編は本作が初となる。十年に一度しか映画を撮らない寡作の作家として知られていて、実際、68年のデビューから現在に至るまでに五本の作品(うち長編はわずか三本)しか世に出していない。
スペイン内戦直後のある小さな村を舞台に、そこに暮らす家族の日常と、映画『フランケンシュタイン』に魅せられた主人公の少女の幻想を交錯させながら描く。絵画のような影像、特にピンクやオレンジなど様々な表情を見せる空と、それに呼応して変化する少女のストッキングの色に目を奪われる。また、ドラマは、説明が省かれ、展開も緩慢なため、一見、感覚的に撮られている様に思える。しかし、一つ一つのシーンは非常に意味深い。詩的なオブラートに包み、当時の政権を痛烈に暗喩が駆使された緻密な作品である。
過酷な労働を淡々とこなすミツバチの生態について綴った父親の小説は、自分達も含めた圧政下の社会全体のことを示しているようだ。人体模型“ドン・ホセ”を使った授業のシーン(呼吸し、食べることは出来るが、目が見えない)は、ユーモラスではあるが、同様に痛烈な皮肉が込められている。両親がそれぞれ何者かに向けて何かを書き、彼らの心がが家族に向わず、内向きになっていることは、社会上安から来る家族の崩壊を表している。姉妹は仲が良いように見えるが、姉のイザベルは妹のアナと年がそれほど変わらないと言っても、ずっと大人である。イザベルか血で紅をさすシーンや、儀式的に火を飛び越えるシーンで、アナとの精神的な格差を示している。家族の中で孤独を募らせるアナが、空想のとりこになり、ついには気がふれてしまうラストは悲劇的に見えるが、母親が家族の崩壊の象徴である手紙を火に投げ入れることは、この事件をきっかけとした家族の再生、つまりは、社会の再生を暗示しているようでもある。



<<ストーリー>>

1940年。スペインのとある小さな村。村には一本の線路が敷かれていて、そこをどこから来て、どこへ向かうともしれない列車が通過していく。そんな村に巡回映画がやって来た。上映作品は「フランケンシュタイン《。姉のイザベルと一緒に映画を観に行った六歳の少女アナは、映画に登場する怪物に心を奪われてしまった。
アナの父のフェルナンドは養蜂業を営んでいて、密かにその労働のことを文章にしたためているようであった。一方、母のテレサは、毎日の生活のことを手紙に書き綴っているようだったが、それが誰に宛てて書いているのなのか、彼女以外の誰も知らなかった。
イザベルはアナをからかい、怪物の正体は精霊であり、家の近くの古い小屋で目たことがうる、と言った。イザベルの話をすっかり信じたアナが小屋に向かうと、そこには大きな足跡が残されていた。それから数日後、村を通過する列車から、一人のスペイン内戦の兵士が飛び降りた。足を怪我した兵士は近くの小屋に身を潜めたが……。