大聖堂に幽閉されていた醜い男がはじめて出た外界で美しい踊り子と出会う。
ユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」のアニメ化。
ノートルダムの鐘
THE HUNCHBACK OF NOTRE DAME
THE BELLS OF NOTRE DAME
1996
アメリカ
91分
カラー
<<解説>>
ディズニーの長編アニメの34作目。原作は「ノートルダムのせむし男」として知られるビクトル・ユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」。これまで幾度となく映画化されている古典的名作だが、アニメ映画としての映像化は初。90年代に入って以降、セルアニメ作品に積極的にCGを取り入れてきたディズニーだが、本作でも群集シーンなどがCGで美しく表現されている。日本語版は、浅利慶太(劇団四季)が脚本を書いたことでも話題となった。ビデオ作品として続編が制作された。
主人公は清く正しく美しく、敵役もどこかユーモラスであるのが定石のディズニー。それが、主人公の容姿が醜くいというが最低条件である物語に挑んだところは挑戦的である。主人公カジモドのデザインには苦心の跡が見られ、顔や姿勢を精一杯崩しているが、表情は豊かで愛嬌あるものにし、見た目にも内面の清らかさが分かるようなものに仕上げている。表情の良さから、カジモドは初登場から好感が持て、感情移入しやすいキャラクターとなったが、それが後にも述べるように作品のテーマを変えてしまったようである。
扱っている題材が題材だけに、原作を尊重してか、これまでのディズニー・アニメと比べるとぐっとシリアスな語り口になっている。しかし、原作の肝であったショッキングな結末を避けたために、物語のテーマも大きく変わったように思われる。カジモドと踊り子の関係は『美女と野獣』を彷彿とさせるが、カジモドは野獣と違って魔法をかけられているわけではない。物語が結末を迎えても、彼はいわゆる“いい人”なのである。それは、ある意味では原作よりも残酷な結末とも言えるが、『美女と野獣』への別の回答といったところだろうか。この身近で現実的な物語にシンパシーを覚える人も少なくはないだろう。
<<ストーリー>>
15世紀末のパリ。ノートルダム大聖堂の鐘楼には、醜い姿で生まれてしまったカジモドという名の鐘つき男が暮らしていた。彼が幼い頃に彼の両親を殺した最高裁判事フロローにより幽閉されているのだ。
フロローから外の世界は暗く醜いものだと教えられていたカジモドは、一歩も寺院の外に出た事はなかった。だが、ある日、外の祭りの華やかさにひかれ、鐘楼を抜け出してしまった。
ジプシーの踊り子エスメラルダは、カジモドの姿を見つけると、彼を道化の王として舞台に上げた。観客はカジモドを喝采するが、彼の顔が仮面でないと知るやいな騒然となり、皆、逃げ去ってしまった。エスメラルダはカジモドを庇うが、彼も逃げるようにどこかへ去ってしまうのだった。
町での騒動を知ったフロローは怒り、エスメラルダの逮捕を命じた。捕まりそうになったエスメラルダは寺院内に逃げ込んだところを、あわやというところでカジモドに助けられた。ガジモドはエスメラルダを外に逃がすが、それがフロローの怒りに火を注いでしまった。
ジプシーすべてを敵とみなし、町の破壊をし続けるフロローの横暴に、一兵士のフィーバスは反発した。フィーバスは裏切り者として、弓で射られたたところを逃走中のエスメラルダに救われた。たちまち二人は恋に落ちるが……。