世間知らずで教養もない庭師が大物と勘違いされ、
大統領候補に祭り上げられていく姿を描くコメディ。
チャンス
BEING THERE
1979
アメリカ
130分
カラー
<<解説>>
ポーランド出身の作家ジャージ・コジンスキーの「庭師 ただそこにいるだけの人」(旧邦題「預言者」)の映画化。主演として、庭師を演じるのはピーター・セラーズ。ヒロインにあたる貴婦人にシャーリー・マクレーン。その夫の財界の大物に往年の名優メルヴィン・ダグラス。
物語の主人公は中年の庭師チャンス。お金持ちのお抱えとして、大きな邸の中から出ることなく、人生のほとんどを庭師に捧げてきた男。まともに教育を受けていないので、教養がないばかりか読み書きもまとも出来ず、世の中のことはテレビでしか知らないという世間知らず。そんな彼が、主人の死をきっかけに邸の外の世間というものに出て行くことになった。しかし、普通の人が思いも寄らないほど純粋すぎる言動のおかげで、彼は周囲の人から大物と思われ、終いには大統領候補にまで祭り上げてしまう。
「裸の王様」の王様と子供を入れ替えような話と言ったら良いだろうか。彼が一介の庭師であることに気付いている人も少なからずいる。しかし、ほとんどの人物、特に教養を持つ人間ほどそれに気付かない。大好きな庭の手入れの話をすれば、庭を社会に見立てて物申しているものと勝手に意を汲まれ、「新聞は読まない」などと正直に言っても、「新聞を読まないことを公言できるなんてよほどの人間」などとますます勘違いされてしまう始末。頭でっかちになった現代人は、誰も彼もが裸の王様なのかもしれない。
たいした人物じゃないのに、周囲から勝手に有能な人物と思い込まれてしまうチャンスは、セラーズの当り役である「ビンクパンサー」シリーズのクルーゾー警部と通ずるところがあり、まさに、セラーズのためにあるような役柄である。しかし、コメディとは言っても、ギャグを前面に出したものではなく、社会風刺や皮肉をこめたものであるたのめ、セラーズの芝居も抑制されている。チャンスは無垢な性格で、温和な微笑を湛えているところは、クルーゾーと似ているが、積極的にボケたりズッコけたりはしない。
俗物たちを知らず知らずに振り回すチャンスの活躍が痛快で、全体を通してハートウォームな雰囲気だが、単なる勘違いコメディでは終わらせない。チャンスが直接接した人のみならず、次第とマスコミを通じて国民的人気を得るようになっていく様には考えさせられるものがある。彼が人々を魅了したのは、その人柄の良さもあるが、皆がチャンスのような人物を求めていたからに他ならない。すなわち、皆がチャンスの中に理想を見ていたのである。
<<ストーリー>>
中年の庭師のチョンシーは、ある大きな邸で主人に仕えてきた。物心ついた時から庭師だったチョンシーは、邸の中だけで育ち、外に出たことがなかったため、教養も持たず、世間のことも知らなかった。主人が死んだ後、財産整理の都合で邸から追い出されたチョンシーは、はじめて世の中へ出て行くことになった。
チョンシーは街中でふらふらしていたところ、車とぶつかってしまった。だが、それをきっかけに、その車に乗っていた貴婦人イブの夫で財界の大物であるベン・ランドと知り合うことになった。ベンは、チョンシーから彼が庭師であることを聞いたが、深読みして、有能な秘書か何かをしていたのだと勘違いしてしまった。
ベンは常に自然体のチョンシーに惚れ込み、彼を大統領に紹介。チョンシーは大統領の前で、庭の手入れの話を屈託なくした。だが、大統領はチョンシーの言葉を助言と受け止め、テレビのスピーチで披露。チョンシーの名は世間に知られることになり、彼はたちまち時の人となってしまった……。
<<スタッフ>>