もしも日本に陪審員制度があったなら。
陪審員に選ばれた市民の白熱する議論を描くコメディ。

12人の優しい日本人

1991  日本

116分  カラー



<<解説>>

もしも日本に陪審員制度があったなら、という仮定で、名作映画『十二人の怒れる男』をパロった舞台の映画化。ある殺人事件の審議で、12人の陪審員が喧喧諤諤の議論をたたかわす様を描くコメディである。監督は前作『櫻の園』で新境地を見せた中原俊。脚本は三谷幸喜。出演は、当時無名だった豊川悦司他、スター不在の俳優たちだが、確かな演技で見せる。
基になった『十二人の怒れる男』と同様の密室劇で、舞台は会議室という一つの部屋の中だけ。回想シーン等もいっさいなく、老若男女が集まった登場人物たちの言葉のみで物語が進められる。『十二人の怒れる男』で印象的だった換気扇の演出や、議論の争点だった被告の「殺してやる」という叫びや、目撃者の女性の信憑性の問題をオマージュとしてそのまま取り入れている。しかし、道具立てを同じくしながら、張り詰めた緊張感を演出した『十二人の怒れる男』とはまったく違う暢気な雰囲気を出している。自らの意見を主張しない、人の意見に流されやすい、といった日本人の国民性を生かし、そんな彼らのブレまくりの議論をユーモラスに描き、立派な意見を述べる人間が主導権を握るのではなく、意見を述べたがらない登場人物にも重要な役割を持たせ、議論に参加した全員を主人公としたところも特徴。要素や意外な方向へ二転三転する脚本は、三谷印で、後半から終盤にかけての謎解き要素は、後のテレビシリーズ「古畑任三郎」を彷彿とさせるものがある。深刻ぶらずにコメディに徹しているようだが、過去に陪審の経験のある一人の陪審員の言葉を借り、裁くものの思いを率直に語らせ、意外と考えさせられる作品になっているところも良い。



<<ストーリー>>

21才の子持ちの女性が、復縁を迫ってきた無職の中年男をトラックの前に突き飛ばし、死亡させた事件の審議が裁判所の会議室で始まった。被告の女性の罪を裁量するのは、一般市民より選ばれた12人の陪審員で、表決は全員の合意により成立する規則になっていた。会議の始めに採られた多数決により、全員一致で被告の無罪が決まった。このまま審議は終わるかに見えたが、陪審員2号・黒縁眼鏡の若い男が、待ったをかけた。有罪に翻った陪審員2号の呼びかけた話し合いが続けられることになった。陪審員2号が興奮して他の陪審員に食って掛かり、話し合いにならないため、会議のテーブルの席順に意見を述べることになった。陪審員10号・引っ込み思案のパーマおばさんは、無罪の理由を説明できず、陪審員2号に責められ、鼻血を出してしまった。陪審員3号・甘栗の差し入れの持ってきた温厚な男性は、一言「パス」と述べた。陪審員4号・禿げ頭のおじさんは、無職男に迫られていた不幸な被告の同情を無罪の理由とした。
陪審員5号・オレンジ色のスーツの女性は、几帳面にメモした手帳を見ながら、事件の経過を整理し、目撃者と被告の証言の食い違いが裁判の焦点であったこと確認。すなわち、事件の目撃者である通りがかりの主婦は、被告と被害者が対等にやり合っていたというが、被告は、被害者から一方的に暴力を受けていたと証言していた。そこへ陪審員12号・話し好きの口ヒゲの男性が割って入った。陪審員12号は、法廷で見た主婦の性質を、「あることないことくっちゃべる」手合いと断定した。人を見抜く力があるという陪審員5号も、目撃者が嘘をついていると確信していると述べたが、今度は陪審員9号・白髪の紳士が噛み付いた。陪審員9号は、勘に頼った陪審員5号に論理的思考が欠けていると指摘。被告の殺意の有無がポイントであることを明確にした陪審員9号は、それが立証できないため無罪であると述べた。さらに割って入った陪審員7号・べらんめえ口調の角刈り男性は、甲斐性無しの被害者を激烈に非難し、「遅かれ早かれトラックに轢かれて死ぬんだ」と極論を述べた。
順番を戻し、次に意見を述べることになった陪審員6号・なにやら忙しそうなオールバックの男性は、陪審員9号の意見に同調した。陪審員8号・能天気なソバージュの若い女性は、次第に込み入ってきた議論に混乱し、自分の意見を述べることが出来なかった。陪審員11号・派手なシャツの色眼鏡の若い男は、被告の殺意が立証できないことを踏まえ、有罪すなわち殺人罪となったとしても、情状酌量で執行猶予が付くだろうと予想。どうせ刑に服さないのならば、面倒な手続きを省いて、はじめから無罪にすれば良い、と述べた。陪審員2号をのぞく全員が、陪審員11号の画期的な提案を支持する中、決が採られることになった。陪審員12号は、有罪に投じる者が他にいなければ、おとなしく無罪に従うよう陪審員2号に求めた。焦った陪審員2号の強い要望で、決を無記名で行うことになったが、開票してみると、無罪が11票に対して有罪は2票だった。陪審員2号がインチキをして、一人で2票を投じていたのだ。陪審員2号が皆から非難を浴びせられるのを見た陪審員9号は、「彼に無理やり無罪と言わせて、全員合意とするは乱暴」と述べた。そして、議論を続けさせるため、自分の意見を有罪に翻したのだった。
陪審員9号は、被告か被害者を突き飛ばしたのが正当防衛でないことを証明するため、被害者が泥酔していたことと、事件前に飲んでいた居酒屋から事件現場までの2.5キロメートルを被害者が被告を追いかけていたことに注目した。酒に酔ったまま2.5キロも走れば、被害者も疲労困憊しているはず。一方、陸上競技の経験のある被告はそれほど疲労していなかったと思われ、被害者に対して命の危険を感じていたとは考えにくかった。さらに、被告が発したという「死んじゃえー」という叫びには、「殺してやる」などという悪態とは違い、明らかな殺意が認められた。陪審員9号の考察から、陪審員2号は、犯行は計画殺人だったと推理した。被告は被害者に追いかけられるフリをして、事件現場である人通りの少ないバイパスまで、回り道をしてまでおびき寄せたのではないだろうか。陪審員5号は、陪審員9号と陪審員2号の話が論理的であることを認め、有罪に寝返った。すると、突然、陪審員9号が無罪に戻ると申し出た。彼が有罪についたのは、あくまで議論を継続させるためであったのだ。
陪審員10号は、陪審員2号の計画殺人説を聞き、ショックを受けていた。だが、そのショックは被告に対するものではなく、ひねくれたものの見方をする陪審員2号に対してであった。陪審員10号は、被告が計画殺人など考える人間とは思えなかった。陪審員4号も陪審員10号と同じく、被告の人間性を信じていた。その根拠として、被告が被害者に追いつかれた後、疲労した被害者のためにジンジャエールを買いに行った気遣いや、被害者に呼び出された居酒屋に向かう際に、留守番する五才の子供のためにピザの出前を取っていたことを挙げた。だが、陪審員9号には、ピザの出前の事実がひっかかった。ピザを取ったということは、被告は帰りが遅くなることを予想していたということである。家を出る前から、被害者を殺すつもりだったのではないだろうか。陪審員9号は再び有罪に翻った。有罪に揺れていた陪審員12号も、ピザの件で納得して有罪につき、さらに、陪審員11号、陪審員8号も有罪についた。有罪無罪ともに6票。議論は真っ二つに割れた。
陪審員2号は、殺された被害者の親の苦しみを訴え、無罪側に情で訴える作戦に出た。だが、かえって陪審員7号から強い反発を受けることになった。陪審員7号は、さっぱり女性と縁のないことにコンプレックスを持っていた。だから、自分と同い年で同郷で、だが自分よりも不細工な被害者が被告以外にも何人も女を作っていたという不公平が許せなかったのだ。陪審員7号の愚痴を聞いた陪審員2号は、自分は妻帯者だが別居中であることを明かし、「皆つらい思いをしている。特別なのはあなただけじゃない」と言い、個人的な感情を持ち込む陪審員7号を諭した。陪審員7号はふてくされて、議論に参加することを放棄してしまった。
決を採った結果、陪審員3号が有罪につき。有罪7票、無罪5票となった。陪審員長として進行役を務めいる陪審員1号は、一貫して無罪に投じて来たが、その理由を述べることはなかった。ここで、陪審員2号をはじめ皆に求められ、陪審員1号は無罪に投じた理由を話した。彼は四年前に一度、陪審員をしたことがあった。三人が殺された強盗殺人事件の裁判である。犯人の若い男性は現行犯逮捕されていたため、当然、表決は全員一致で有罪。結局、犯人は死刑になった。自分の一票が犯人が殺したのだ。それは自分の責任ではないことは分かっていたが、陪審員1号の心に強いわだかまりを残していた。もうあんな気持ちになるのはパスだと。陪審員1号は、執行猶予付きならば有罪でもいいと考えてい。たが、今回は計画殺人ならば極刑もありうるのである。すると、さっきから黙って聞いていた陪審員11号が口を開いた……。