ヤンエグ青年と謎の石鹸売りの男が興した秘密集会“ファイト・クラブ”。
殴り合いによる自己の解放が目的だったクラブは、
やがてテロ活動に手を染めていく。

ファイト・クラブ

FIGHT CLUB

1999  アメリカ

139分  カラー/ドイツ



<<解説>>

『セブン』のデイビッド・フィンチャーの四作目で、チャック・パラニュークの同名小説を映画化した作品。主人公のビジネスマンにエドワード・ノートン、彼を不可思議な世界に引き込むカリスマにブラッド・ピット。二人の共演も話題となった。
過剰なまでの経済社会の現代がこの物語の舞台。その経済社会の一端を担うヤンエグの青年が主人公。ただ、彼は、冒険よりも安定を求め、生きている実感を失ったような無気力で軟弱な男だった。そんな彼が、自宅の爆破という大事件をきっかけに、男らしさ溢れる謎の男タイラーと出会う。主人公は、タイラーと作った秘密集会“ファイト・クラブ”での果てしない殴り合いを通し、自己を解放し、野性を取り戻していく。しかし、“ファイト・クラブ”の過激な活動は、経済社会の破壊を目的とするテロ活動へと発展していく。
物語は主人公の回想的独白という形をとり、彼にはあえて特定の名前が与えられていない。それは、彼が現代の青年を代表であることを意味し、同時に、この物語があなた自身に関することであると観客(特に男性)に了解させる。そして、観客が充分に問題意識をもったところで、容赦なくあびせかける最大のトリック。それは当時、ショック療法のような刺激的な内容であった。しかし、あれから十年たった今の世、野心を持たない弱な若い男性が“草食系”と揶揄されたり、高度経済社会が崩壊しつつあるのを見渡せば、なかなか予言的な作品であったようである。いまでこそ、観直すべき映画のひとつと言えるかもしれない。
自己改革というテーマは語り尽くされた感があるが、一人の青年の自己改革を通し、経済ばかりが発達した現代社会のゆがんだ空気や、その社会に奉仕することに邁進させられる人々の鬱屈した心を鋭く捉えてみせたたところが新鮮である。センセーショナルな内容やタイリッシュな映像ばかりが取りざたされているが、意外とラジカルな社会派ドラマのようである。このような社会に対する斜めに構えた姿勢は、『セブン』や『ゲーム』にも共通するものがある。しかし、退廃的な雰囲気の前作とは打って変わり、本作は、非常にスピーディーでハインテンションな作品に仕上がっている。まさに一皮向けたという印象で、フィンチャーの最高傑作との声もある。
技術面に関しては、フィンチゃーの作風の特徴とも言うべき暗示的なイメージの扱い方が、大分上手になってきたようである。“上手になった”というのは、より手の込んだことをして観客を煙にまくというのではない。衒いを捨て、映像の端々に散りばめたヒントを観客に印象付けるのが“上手くなった”という意味である。暗示的なイメージを多用するのは、作品の雰囲気作りや、ミステリー的な遊びもあるだろうが、本作は主にストーリーの整理に効果を発揮している。本作は、冒頭がいきなりラストシーンであり、回想から回想へというように時制が飛躍していく複雑な構成をとっている。さらにまた、現実とイメージの間の行き来が、猛スピードで展開していくのである。それなのに、観客は混乱することなくストーリーを追うことが出来る。それは、観客が暗示という形で巧みに印象付けた重要な情報を、ストーリーを読み進める手がかりとするからだろう。
情報の提示は、一部ではサブリミナル効果というアンフェアな手段もとっているようだが、大抵は、あえて観客の注意を引くような映像や台詞によって行われている。例えば、爆発事件の直後のテイラーの台詞には、明らかに不自然な部分がある。それはさらりと流される台詞だが、複線にしてはあからさまである。それは観客の中に強い違和感として残り、その違和感が観客にある不吉な予感を持たせる。やがで明らかになるトリックは、漠然と感じていた予感とそう遠くないはずで、おそらくは、驚く一方で納得もするだろう。このようにして、観客は物語に置いていかれることなく、映画を楽しむことが出来る。分からなかったところを、もう一度観直すような野暮なことしなくて良いのである。
本作は一般的な評価よりも、映画ファンからの絶大な支持が高いことにも注目したい。それはなぜか? 映画ファンともなれば、そのきっかけになった体験、すなわち、これまで観たことのない衝撃的な作品に出会い、夢中になったことがはずである。もし、それをある作品により追体験させられたなら、どうなるだろうか? かつて夢中になった思い出とダブったその瞬間、その作品を傑作と錯覚するのではないだろうか。つまり本作には、そう仕向けられるほど、映画ファンをはまらせ、夢中にさせる魅力があるのである。
本作が映画ファンを夢中にさせる要素の一つとして、物語の語り口の上手さ、引き込み方の巧みさにある。物語のとっかかりとなるのは、なぜか、“おっぱいおじさん”である。いきなり首を傾げさせられてしまうが、好奇心の強い映画ファンならば、どこへ連れて行ってくれるのか、身をゆだねたくなるはずだ。“おっぱいおじさん”からはじまり、“石鹸作り”、“秘密の集会”というように、好奇心をくすぐるイメージを矢継ぎ早に繰り出されていく。一見無関係に思える雑多イメージがつながり、さらに、そこから新しいイメージが次々と湧き上がっていく。観客は、奇想天外な物語に時に驚き、時に感心する。主人公とタイラーと出会いから、物語という名のジェットコースターは急加速で突っ走っり、気が付けば目の前に広がるのは驚愕のラストシーン。観終わった後の充実感はかなりのものである。
映画ファンを夢中にさせるもう一つの要素は、この映画自体の持つえも言われぬ迫力だろう。本作は、映画として非常によくまとまった作品ではあるが、先に述べたような圧倒的なスピード感で語られる奇想天外な物語や、次々と現れては消える雑多なイメージの積み重ねは、作品全体に猥雑で混沌とした印象を与えている。それは、映画がまだ芸術でなく、むしろ文学や演劇や音楽を冒涜せしめた単なる見世物であった黎明期。その時代に、興味本位で自由に撮られていた映画の持っていた、屈託のない無邪気さを想起させはしないだろうか。本作は、すっかりお行儀の良くなった今の映画の中にあって、“映画は見世物である”という認識をあらたにさせられ、さらには、“本来のあるべき姿の映画”を観たのだという思いにさせるのである。



<<ストーリー>>

大手自動車会社に勤めるヤング・エグゼクティブであるこの物語の主人公の青年は不眠症に悩んでいた。彼は医師の勧めで、癌のために睾丸切除した男たちの集会に試しに出席することにした。女性ホルモンの増加で女性のような胸を持つ中年男ボブ・ポールセンと出会った彼は、その夜からぐっすり眠れるようになった。
それから彼は、水曜日に開かれる集会に毎週通うようになった。だが、それだけでは飽き足らず、他の重病患者が集まる集会にも、ジャック、ルパート、あるいは、コーネリアスなど、色々な名前を使ってまで出席していた。彼は、他人の病気の苦しみや死に直面する恐怖を知ることで、安らぎを得ていた。
だが、そんな彼の生活も、マーラ・シンガーという一人の女の登場で壊された。彼は、自分と同じようにいろんな集会に出ては患者の話を聞いているマーラのことが気になって、再び眠れなくなってしまったのだ。彼はマーラと、二人のどちらがどの集会に出席するのかという権利の奪い合いをしなければならなくなった。
そんなある夜、出張先の自宅の高級マンションに帰宅した彼は、自分の部屋が爆発していることを知り呆然とした。どうやら、ガスを点けっぱなしにして出掛けてしまったらしい。今すべきことは他にもあったはずだが、どういうわけか彼は、飛行機内で出会ったタイラー・ダーデンという奇妙な石鹸売りの男に電話をかけていた。
彼はタイラーと会い、今まで苦労して集めてきたお気に入りの家具などを一瞬に失ってしまったことを嘆いた。話を聞いていたタイラーは、彼を慰める代わりに、消費のために働くというサイクルに人を陥れる経済社会を激しく批判した。
彼は別れ際、タイラー自身に促されて、家に泊めてもらうよう頼んだ。すると、タイラーは思いも寄らないことを口にした。「この自分を殴れ」、と。彼が訳も分からずタイラーを殴ると殴り返してきた。彼はしばらくタイラーと路上で殴り合いになるが、不思議な解放感があった。
彼がタイラーに案内された自宅というのは、周囲を工場に囲まれ、夜には周囲数百メートルにわたって人気(ひとけ)がなくなるペーパー・ストリートの一角だった。タイラーはここの使われなくなった廃屋に暮らしていた。彼は建物の一部屋に居候させてもらうことになった。建物には電気や水道も満足に供給されていなかったが、彼はじきに慣れてしまった。
彼はいつしか、週末にタイラーと殴りあうのが習慣になっていた。路上で倒れるまで殴り合う二人を見た男たちが興味を持ちはじめ、殴り合いに加わるようになった。やがて、彼とタイラーは、“ファイト・クラブ”という秘密の集会を発足し、毎週末、建物の地下で男たちと殴り合いを繰り返すようになった。
爆発事故の夜を境に、彼は目に見えて変化していた。殴られて腫れあがった顔でも気にせずに出社し、服装も乱れていった。上司に勤務態度の悪さで注意を受けても、受け流すばかりだった。そんなある日、彼の家にマーラが電話をかけてきた。自殺をほのめかすマーラを無視するが、代わりにタイラーが様子を見にいった。
その日から、タイラーはマーラを部屋に連れ込んではセックスするようになった。上の階のタイラーの部屋からは、マーラのあえぎが絶えることはなく、彼は下の部屋でそれを聴かさるはめになった。なぜか、彼はタイラーから、自分のことをマーラに秘密にすることを約束させられた。
彼の知らぬうちに、タイラーはそのカリスマ性あふれる言動により、クラブのメンバーの尊敬を集めるようになっていた。ある夜、彼は街で久しぶりにボブと出くわした。見違えるように明るく元気になっていたボブは、秘密のクラブに通っていることを打ち明けた。彼はそれがファイト・クラブであることに気付き、ボブと意気投合。ボブもまた、謎の男タイラーを尊敬する一人だった。
今やタイラーは、伝説の男として語られるようになっていた。ある週末の夜。いつもようにクラブを始めようとした時、建物の持ち主であるギャングのルーが文句を言いにやってきた。タイラーは怒り狂うルーに殴られるが、しつこく食い下がった。ルーは、血だらけになってもへらへら笑っているタイラーが気味悪くなった。ルーは建物の使用許可を出し、逃げるように去っていった。その夜、タイラーはクラブの会員に、来週までに誰かと喧嘩をして負ける、という宿題を出した。
クレーム対応部に勤務する彼は、上司に「自動車の欠陥に目をつむる」というコンサルタントの仕事を提案した。呆れた上司は彼をつまみ出すため、警備に連絡をした。すると、彼は突然自分で自分を殴り始めた。唖然とする上司の目の前で、彼はみるみるうちに血だらけになっていった。その時、絶妙のタイミングで警備が部屋に飛び込んできた。
上司は咎められた。彼が自分で血だらけになったなどという主張は通るはずもなかった。彼は出社せずに報酬を得るという理想の仕事を手に入れたのだ。日々の勤務から解放された彼は、ウィークデイにもクラブを開くようになった。一方、あれからタイラーは、毎週様々な宿題をクラブの会員に出していった。はじめのうちは小さなイタズラだった。だが、それはやがて、悪質な破壊行為に発展していった……。