閉鎖された鉱山に代わり建てられたハワイアンセンター。
生活のためフラダンサーに志願した少女たち奮闘を
実話を基づきユーモラスに描くドラマ。

フラガール

2006  日本

120分  カラー



<<解説>>

産業に用いるエネルギーが石炭から石油にメインに変わっていった昭和40年代。そのあおりを受け、鉱山の閉鎖を余儀なくされた炭鉱町の人々の生活は危機に瀕していた。閉鎖された鉱山に代わり、炭鉱夫とその家族の雇用を作り出すため、炭鉱会社が温泉資源を生かして建設したのは、なんとハワイアンセンターだった。まだ、日本にテーマパークという概念すら存在しなかった時代、ハワイアンセンターの運営という前例のない挑戦に、手探りで挑んでいった町の人々を奮闘を、フラダンサーに志願した少女たちにスポットを当てて描く町おこしコメディ。物語の大枠は実話に基づいていて、劇中に登場する「常磐ハワイアンセンター」は現在も名称を変えて存続している。
主人公の女子高生役に気鋭の女優でバレエの経験もあるという蒼井優。ラストで見せるラフの華麗なソロダンスは圧巻。フラダンスを教える落ち目の歌劇女優役には、『子ぎつねヘレン』で久しぶりの映画出演を果たしたばかりの松雪泰子。やや、役柄と本人がだぶって見えるは、キャスティングの狙いか。主人公の兄には豊川悦司。最近は二枚目半の役も多いが、それはこの作品がはじまりだったかもしれない。この手の映画ではメンバーに最低一人は必要なイロものとして、お笑いコンビで人気者だった“しずちゃん”こと山崎静代。芝居はうまいとは言えないが、東北娘の素朴さがいちばん出ていたの彼女だったようだ。
ダンスを踊ったことのない少女たちが、一からダンスの特訓をして、人前で踊れるまでに上達していくという物語。いわゆるスポ根・奮闘物である。世界的にもこの手の映画は数多く作られているが、特に日本人は好きなようで、年に数本、いや、月に一本は新作が公開されているのではないだろうか。例を挙げるまでもなく、無数にある奮闘物は、ストーリー展開がどれも似たり寄ったりであるが、よほどのひねくれ者でない限り、素直に楽しめる作品がほとんどだろう。供給者にとっても、当れば大きく、外れもあまりないというコストパフォーマンスの高さから、重宝される企画と言えるのかもしれない。
奮闘物はどれもストーリー展開が似たり寄ったりという話だが、本作も多分にもれず似たり寄ったりの内容である。似たり寄ったりであるというと、オリジナリティがないように聞こえてしまうが、それは少し違う。奮闘物のストーリー展開は確立されたフォーマットであり、そこから逸脱する必要がないから似たり寄ったりに見えてしまうだけなのである。では、なぜ、逸脱させないかと言えば、観客にも、定番のストーリー展開に則って、笑うなり感動するなりの暗黙の用意があるからである。「東北がハワイに!?」とか、「炭鉱夫の娘たちがフラダンサーに!?」といった設定上のサプライズは観客が求めるところであるが、ストーリー展開に関しては、定番のストーリー展開から外れることは、すなわち観客への裏切りになるのである。
奮闘物のオリジナリティというか、アイデンティティは、やはり、設定やテーマに依るところが大きいようだ。本作にとってそれは、目的に対する切実さだろう。本作は、同じく炭鉱閉鎖にあえぐ人々を描いたイギリス映画『ブラス!』と比較されるが、あちらがなぐさめに音楽を選んだのに対して、こちがフラダンスを選んだのは、なぐさめでもないし、コンテストで優勝するなどといった栄誉のためでもない。なによりも第一に生活のためなのである。ついこの間まで、炭鉱夫たちは、頭に手ぬぐいを捲き、すすだらけになりながら穴倉を這いまわってきた。そして、その家族たちは、いつ事故に遭って命を落とすとも分らない主人の無事を祈りながら家を守って。ところがこれからは、会社の命令ひとつで、アロハシャツを着てさわやかな笑顔で接客をしたり、好奇の目にさらされながらフラダンスを踊らなければならなくなったのである。相当な決心があったはずである。それは、人生のあるべき姿として信じてきた価値観を転換しなくてはならないほどのものだっただろう。
炭鉱の町に生まれたものとして譲れない価値。しかし、目の前に迫った生活に対する不安。やがて、ぎりぎりの決断をさまられる町の人々。そういったシビアな背景があったはすだが、それらをストレートに表現することはない。本作は娯楽作であるから、あまり時代性を強調せず、明るいトーンを保ち、誰もが楽しめる普遍的な物語としたいという意図もうかがえるが、あえて想像の余地を残したようにも思える。脚本は、観客がシビアな背景をくめるようなエピソードを選んで構成されたソツのないもので、背景を想像しながら観れば、厳しい現実から自らの手で未来をつかもうとする町の人々の姿にたいへん勇気を与えられる。また、この手の作品にありがちな、奇をてらった特訓風景がだらだらと続いたり、サブキャラクターのロマンスをねじ込んでみたりといったお遊びをほとんどやらなかったところもテーマに対して誠実に思える。冗長な場面をなるべく省き、簡潔かつ丁寧な脚本としたことは、物語が間延びとすることを防ぎ、娯楽作としてはやや長尺と思える二時間を飽きさせない仕上がりとなった。



<<ストーリー>>

昭和四十年代の東北の町・いわき市。古くから常磐炭鉱で栄えてきたこの町では、男は山に入って石炭を掘ること、女は働き手となる男の子を生むことが人生だと信じられていた。だが、時代は変わり、政府の方針は、主要エネルギーとして、石炭よりも効率の良い石油を選び、炭鉱は切り捨てられつつあった。その波は常磐にも押し寄せ、町の炭鉱は閉山に向けて縮小に向かっていった。
長年勤めてきた炭鉱の労働者で組織する組合と、彼らの解雇を推進する炭鉱会社の間で対立が勃発した。会社側は、働き口を失った町の人々の雇用を確保するために、炭鉱の副産物である温泉を利用して、ハワイアン・センターの建設を進めていた。だが、町の人々の多くは、東北がハワイになるなど馬鹿げたことだとしてとりあわず、センターの建設には反対の立場をとっていた。
高校生・紀美子の家は、典型的な炭鉱夫の家庭だった。父は炭鉱の事故で亡くなっていたが、それでも山にこだわり続ける母・千代や兄・洋二朗は、目前に迫った生活の危機という現実的には目を向けようとしなかった。特に婦人会の会長である千代の考え方は頑なだった。
紀美子の親友の早苗は、この町に窮屈さを感じ、いつかここから出て行きたいと考えていた。そんな時、彼女はハワイアン・ダンサー募集の張り紙を見た。町から出るチャンスと考えた早苗は紀美子に誘いをかけた。紀美子は早苗の強引な誘いを断れないまま、彼女に連れられ、センターの建設実行委員・吉本のもとへ向かった。吉本のもとには、働き口を求めて集まってきた若い女性が多数いたが、フィルムで見せられた本物のハワイアン・ダンサーの露出度の高い衣装を見て、逃げるようにして帰ってしまった。結局、残ったのは、紀美子、早苗、子持ちの主婦、そして、大女の小百合の四人だけになってしまった。
吉本は、開園までに、四人のダンサー候補生にハワイアン・ダンスを教えるため、東京のSKDからプロのダンサー・平山まどかを雇った。町にそぐわない都会的な美女であるまどかは、たちまち町の人々の噂になった。彼女に対し、炭鉱の男たちはいずれもが好奇の目を向けたが、ハワイアン・センターに協力する立場の彼女への評価は、ほとんどが否定的なものだった。
まどかは、何もない炭鉱の町に来て間もなく嫌気がさしてしまったが、彼女にはこのさいはての町に来なければならなかった理由があった。彼女は母の作った借金で首が回らなくなり、どこにも行き場を失っていたのだった。
翌日、まどかは吉本から紀美子たち候補生を紹介されるが、まったくダンスの経験のない彼女たちの先が思いやられ、教える意欲も失せてしまった。紀美子も、まどかのふてくされたような態度が気に入らず、さっそく反発するのだった。
さらに翌日、紀美子は仕事をサボって、レッスン場となっている体育館向かった。そしてそこで、独りで黙々とフラ踊るまどかを目撃した。その美しく優雅なダンスを目の当たりにした紀美子は、まどかから踊りを教わることに決意した。ところが、その時、紀美子が仕事をさぼったことがばれ、それを知った千代がレッスン場に乗り込んできてしまった。千代は、まどかに向けて、彼女のダンスを否定するようなことを言い放った。まどかはそれに言い返せず、悔しい思いをするのだった。
その夜、紀美子は千代からレッスンをやめるよう言われて、猛反発した。山に捧げる人生ばかりを重んじて、夢のある人生を理解しようとしない母に嫌気がさした紀美子は、反発した勢いに任せて家を飛び出した。まどかは、レッスン場にやってきた紀美子の顔に覚悟の色を見てとると、「自分の言うことに従うこと」を条件にダンスを教えることを約束したのだった。
翌日から、まどかの厳しい特訓が始まった。ダンス経験のない紀美子たち四人に基礎から教え込むまどかの熱意に、紀美子たちは応えていった。いよいよ働き口を無くした町の若い女性たちも紀美子たちのレッスンに合流し、ダンサーは十数人となった……。





<<スタッフ>>