夢を忘れた中年男の前に八歳当時の自分が現れる。
ハートウォームなヒューマン・ファンタジー。
キッド
THE KID
2000
アメリカ
104分
カラー
<<解説>>
『クール・ランニング』、『フェノミナン』のジョン・タートルトーブが、ブルース・ウィリス主演で描くディズニー制作のヒューマン・ファンタジー。夢を忘れた中年男が、誕生日の前日に現れた少年時代の自分自身との交流を通し、人生を見つめなおしていく様を描いていく。大人の自分と子供の自分の対比を笑えるコメディにするのではく、哀愁を帯びたドラマに仕上げているところが特徴。余談ながら公開当時のテレビスポットでは、本作と内容に共通点のある『さびしんぼう』を意識してか「別れの曲」が使われていた。チャップリンの同名の作品とは関係ない。
ブルース・ウィリスは『マーキュリー・ライジング』、『シックス・センス』となぜか子役との共演が多く、本作でも子役との絶妙の掛け合いが期待されたが、その点に関しては若干期待はずれと言わざるを得ない。子役自身に魅力があまり感じられないのはともかくとして、子役をリードすべき立場であるウィリスが自分の芝居で手一杯といった感じなのは残念だ。ウィリスと子役の掛け合いはグダグダだが、主人公の傲慢さをあしらい慣れてる秘書、忘れた頃に再登場して主人公にヒントを与えるニュースキャスターなど、脇役たちが魅力的に描けているのことはかなりの救いとなっている。
テーマは大人の共感を呼ぶものであるが、大人が観ていて困惑させられるところがあるのは事実。それは完全に大人向けのテーマであるのに、子供の観客のご機嫌を妙に伺うようなところである。大人に観せたいのか、子供に観せたいのか、その両方に観せたいのか、定まらずにフラフラしている感じはとても気持ちが悪い。また、あらかじめ用意された結論を導き出すだけの予定調和的過ぎる展開も、大人の観賞には絶えがたいものがある。しかし、これはファンタジーではなく、大人向けの寓話なのだとすれば、多少は合点がいくかもしれない。
寓話としての本作のメッセージを「少年時代の自分が忘れたいた夢を思い出させてくれる」と言ってしまうと、ありきたりのように感じられてしまうが、結論を早急に求めず現在の自分をひとつの通過点として位置付けたところは、特筆すべきところかもしれない。過去の自分と出会うという劇的な体験を通した結果として、主人公に目に見えた変化が起こるわけではなく、人生の目標を再確認するだけに留められている。過去を見つめ直した後、未来に向けて歩み始めるという未来志向は、下手な説教よりも感慨深いものがあるはずだ。
<<ストーリー>>
独身中年男のラスの職業はイメージ・コンサルタント。顧客にイメージ・アップのアドバイスをするこが仕事だが、その当人は他人の欠点をあげつらう、とても感じの悪い男だった。部下のエイミーは、ラスが時折のぞかせる少年の顔にひかれながら彼の良いところを探そうとするのだが、そのたびに失望させられるのだった。
四十歳の誕生日の数日前から、ラスは赤いセスナ機の幻覚に悩まされていた。自宅の敷地内でそこに居るはすのない少年の姿を見かけたラスは、翌日、精神科医を訪ね、強力な薬を手に入れた。ところが、その夜もラスの目の前に少年が現れた。薬を飲んでも消えないその少年の姿にはどこか見覚えがあった。まさかと思って体のあざを確認したところ、自分とそっくり同じ位置にそれがあった。ラスは、目の前の少年が、三十二年前の時の自分だと言うことに気付いた。
少年時代のラス=ラスティの方も事態を飲み込むと、大人になった自分=ラスにいろいろ質問をはじめた。ラスティの夢は、パイロットになって“チェスター”という名前のかっこいい犬を買うことだったが、それらが一つもかなっていないことを知り、失望したのだった。ラスはラスティを1968年に戻す方法が分らないため、とりあえず彼を仕事につれていくことにした。
エイミーは甥だと紹介された太っちょのラスティのおおらかさに気を許すが、彼とラスととがただならぬ関係であることを見破っていた。エイミーはラスティを隠し子と疑って、ラスを追及した。ラスとラスティは真実を話そうかどうか相談するが、そうするまでもなく、エイミーは仕草をそっくりな二人が同一人物であることに気付いた。エイミーはラスティが持っていた良いところのすべてを、ラスが失ってしまっていることを残念に思うのだった……。
<<スタッフ>>