人々が仮想戦闘ゲームに没頭する未来。
リセット不可の幻のステージで、ある一人のプレーヤが目撃した驚愕の世界とは。
新感覚のビジュアルで見せるSFアクション。
Avalon
アヴァロン
2000
日本
カラー
<<解説>>
宮崎駿、大友克洋と並び称される日本アニメ界の鬼才・押井守が、ポーランドにおいて撮影した映像をデジタル加工して作り上げた実写作品。映像のすべてをコントロールすることを目指した野心作である。実写とアニメの完全な融合を目指した作品がちらほらと出始めた今にして思えば、本作は非常に先駆的な作品だったが、映像は後の作品と比べても遜色の無い完成度である。
最大の見どころである映像は、本当は相当に素材をいじっているのかもしれないが、ぱっと見、どこが加工されているのか分からないほど自然である。CGを採用した既存の映画のように、SFXだけが浮き出しているのではなく、実写でありながら、セピア色の映像全体が偽物っぽい奇妙な質感を持っている。まさに映画とゲーム画面の中間のような映像は、後述の作品の世界観と合致している。また、また、おそらくは実写映像を加工するという実験を前提した作品ではあっただろうが、その行為自体が作品のテーマを暗示しているところも興味深い。
斬新な映像にばかり目を奪われがちだが、日本人がポーランド軍の協力を得て、本格的に映画を撮ってきたということも特記すべきことなのかもしれない。戦闘シーンで、何気なく本物の戦車やヘリが登場するのには、ある意味、CG以上に驚かされる。どのうよなコネクションがあったのかは不明だが、やはり、“攻殻”効果のたまものといったところなのだろう。本格的な戦闘シーン(ただし、見た目の派手さに反して、あえて、空虚で迫力がないものに演出されているが)に、ミリタリーマニアの押井監督の趣味が出ているが、同時に、バーチャルリアリティやネットゲームを題材とした内容にも、ゲームマニアの監督の趣味が出ている。ゲーム好きにとっては、細かい設定や演出も見どころかもしれない。
本作を一言で言ってしまえば、これまで押井監督が、夢や映画やロボットやコンピュータといったものを用いて描いてきた虚構と現実のせめぎあいを、ゲームを舞台として描いている。つまり、「主体の知覚のみにより認識される現実は、主体自身も含めて絶対的なものとは限らない」といった実存主義的な世界観、いわゆる“押井ワールド”全開の作品なのである。ただし、本作では、難解と言われてきたその世界観を、できるだけ分かりやすく伝えようと試みがあるようだ。先の命題も、これまでの作品ではほのめかされるだけに止まっていたが、セリフの中で明確に提示されている。物語の後半は、“押井ワールド”の確信に迫っていくようで手に汗握るものがあるが、観客を再び迷宮に引き込むクライマックスは衝撃的。
<<ストーリー>>
世界が喪に入り、人々が仮想戦闘ゲームに没頭する未来。プレーヤは、ゲームの中で繰り返される死に白熱した。ある者は脳を破壊され、“未帰還者”と呼ばれる廃人になってしまうこともあった。そのゲームは、英雄の島“アヴァロン”と呼ばれていた。
一人暮らしの女性アッシュも、“アヴァロン”に熱中するプレーヤの一人。最終ステージ、クラス−Aでプレイする彼女の腕前は、他のプレーヤも一目置くほどだった。ある日、アッシュは、待合室に写し出されたモニターに、自分とそっくりの戦術を持ち、彼女以上の腕を持つプレヤーを発見した。驚嘆したアッシュは、そのプレーヤの情報を検索するが、分かったのは彼のジョブが“司祭(ビショップ)”であるということだけであった。
かつて、アッシュは、最強とうたわれたパーティ“ウォリアーズ”に、スタンナ、マーフィーらと一緒に参加していた。たが、ある時、前線でアッシュが突然リセットしたため、“ウォリアーズ”は壊滅してしまった。その後、アッシュは、スタンナから、マーフィーが“ゴースト”に遭遇し、未帰還者になってしまったという知らされた。隠れキャラ“ゴースト”は、リセット不能の幻のステージ、クラス−スペシャルAに通ずる唯一のゲイトと言われていた。
“アヴァロン”を究めようとしたマーフィーは、クラス−SAを目指し、“ゴースト”を追っていたのだという。クラス−SAに興味を引かれたアッシュは、“アヴァロン”をプログラミングした“九姉妹”との接触を試みようとするが……。
<<スタッフ>>