孫文や蒋介石と深く関わり、革命時代の中国を駆け抜けた宋家の三姉妹の姿を描くドラマ。
宋家の三姉妹
宋家皇朝
1997
香港/日本/中国
145分
カラー
<<解説>>
中国の歴史にさほど興味がなくても、歴史の表舞台に立った孫文や蒋介石くらいはたいていの日本人は常識的に知っているはず。ただ、歴史の教科書に記されることがない彼らの妻たち、つまり、宋姉妹については、本作ではじめてその存在を知った人がほとんどかもしれない。本作は、孫文、蒋介石らの妻である共に彼らに多大な影響を与え、当時の中国の象徴的存在でもあった実在の三姉妹の生涯を描いた歴史ロマンの大作である。
一人は富を愛し、一人は権力を愛し、一人は祖国を愛した三姉妹。彼女たちは、革命に命を捧げた男たちに自らの幸福を捧げ、清朝終焉から中華人民共和国成立までの中国を生き抜いていく。彼女たちは特に強い意志を持って行動したわけではない。しかし、不思議な因縁と運命に導かれるように、現在の中国の成立に深く関わっていくことになる。彼女たちの言ったことややったことについては、映画的な脚色は多少あるにしても、彼女たちの関わった歴史的事実だけを追うだけでも驚きの連続だ。また、単なる歴史劇に収めず、三姉妹の心の機微、特に次女の慶齢が夫や父を亡くした失意から政治活動に傾倒していく様など、エモーショナルな演出が心がけられているところが良い。三姉妹の関係と中国国内外の関係を呼応させ、三姉妹の人生が中国の近代史そのものであることを印象付けるロマンチックな大仕掛けも感動的を呼ぶ。三姉妹を演じるのは、ミシェール・ヨー、マギー・チャン、ヴィヴィアン・ウーのいった中国・香港映画界の代表的女優。本作で存在感を示した三人は、それぞれ本作出演と前後して国際的な映画での活躍が増えている。
香港、日本、中国からの出資の映画ということもあってか、内容についていろいろと気を使われた形跡あるのは仕方がないことかもしれない。その結果、三姉妹に関する事柄は適度に熱を帯びない程度のメロドラマに徹し、それ以外の歴史的事柄については単に事実を説明するけに止まっている。さらに、中盤移行にいったては、怒涛のクライマックスであるに、どうにも歯切れの悪い部分も目立つ内容になってしまっているのは、映画として惜しいところ。しかし、三姉妹の中国の関係は非常に興味深く描かれているため、中国の近代史を知るきっかけにはなりそうな作品である。
<<ストーリー>>
1981年の北京。孫文未亡人の宋慶齢が病で危篤となった。その報せは、ニューヨークにいた蒋介石未亡人の宋美齢のもとに届けられた――
1890年の上海。聖書の出版で財を成したチャーリー・宋は、貧困こそが中国の問題と考える革新的な男だった。彼は同じ意志を持つ親友の孫文と革命を目指し、清朝打倒の運動に日々励んでいた。チャーリーは三人の娘、靄齢、慶齢、美齢が新中国を建設してくれると大きな期待を寄せ、幼い彼女たちをアメリカへ留学させた。
1911年、辛亥革命により中華民国が誕生し、孫文は南京で臨時大統領に選ばれた。一方、宋家の長女、靄齢は、孔子の75代の孫に当たる祥熙という大富豪と結婚した。孔祥熙は靄齢の提案で銀行経営に乗り出し、その富を揺るぎないものにした。
中国で内戦が起こると、孫文は戦果を避けるために北京で大統領の座を袁世凱へ譲り、日本へ亡命した。宋家の次女、慶齢は京都で幼い頃から信愛していた孫文と再会した。高い理想を持つ孫文への慶齢の尊敬は愛情に変わった。慶齢は孫文との結婚を決意するが、チャーリーは激しく反対した。反対を押し切り行なわれた慶齢と孫文の結婚式の場にチャーリーが現われた。チャーリーは孫文の裏切りを叫び、彼に決別を言い渡した。
1922年の上海。袁世凱が死後、孫文は革命政府樹立した。宋家の三女、美齢は孫文の参謀である青年士官の蒋介石と出会った。蒋介石には妻子がいたが、宗家の娘である美齢に興味を示していた。孫文が信頼していた軍閥に裏切られ、包囲されるという事件が起こった。その時、慶齢は孫文の子を身ごもっていた。孫文に遅れること軍閥包囲網を脱出した慶齢は、過酷な逃亡生活の中で流産し、子供の埋めない体になってしまった。このことを期に、孫文は軍閥に頼らないことを決意し、自分のための軍隊を持つことを計画した。
1924年、孫文は黄埔士官学校を開校し、校長には蒋介石を迎えた。一方、慶齢の説得にもかかわらず、親友や娘に裏切りを信じつづけていたチャーリーが倒れた。彼は娘や妻に看取られながら静かに最期を迎えた。その頃、孫文の周囲から共産党を危険視する見方が広がりつつあった。孫文は超党派の連合の必要性を強調し、共産党もその一員であることを訴え続けていたが、病に倒れてしまった。彼は慶齢に看取られながら逝去した……。
<<スタッフ>>