運命のどん底に突き落とされる孤独な少女の物語。

少女ムシェット

MOUCHETTE

1967  フランス

78分  モノクロ



<<解説>>

非常に寡作ながら、1940年代から80年代までの長きにわたって活躍し、ヌーヴェル・ヴァーグにも影響を与えたと言われる孤高の監督ロベール・ブレッソン。既存の映画理論に拘らず、独自の映画理論と哲学(それを自ら“シネマトグラフ”と呼んでいた)を追及したことで知られる。ロマンティズムをいっさい廃し、人間の業を恐るべき冷静さで見つめた作風は、鈍器で殴りつけられるようなバッド・トリップをもたらす。難解な作家と認識されているが、ユニークな作風と麻薬のような中毒性により、ブレッソンを特別な作家として心酔する映画人や映画ファンも少なくない。
本作は、ブレッソン芸術のひとつの頂点を極めた前作『バルタザール どこへ行く』から、次なる段階に踏み出したと言える作品だ。ブレッソンの宗教的、思想的な背景に基いた“救済”というテーマが前作と通じるものがあり、そこから深遠な内容を読み解くこともできそうだ。しかし、発展的なのは、研ぎ澄まされたシーンを部品のように積み上げていくような構成だ。従って、シーケンスは流れるようなものではなく、意図的に行間を脱落させたようなひっかかりがあるものになっている。つまり、余計な演出は切り捨てているが、普通の映画なら必要と思われる演出まで切り捨てられているような印象だ。この構成は、遺作となった『ラルジャン』で、さらに洗練された形で現われている。
物語は、死ぬくらいしか救いようがありえないという不幸な少女の姿を淡々と追ってはいるが、演出としてこの可哀想な少女の不幸を煽り立てるようなことはしない。ドキュメンタリーだとしてももうちょっとドラマティックだろうと思えるほど、感情の起伏が伝わってこない演出だ。しかし、その代わり、脱落させた行間や省かれた説明を観客に想像させることで、不安や絶望を感じさせるきっかけを与えている。この映画を観終わった時、真実よりも人間の想像がもっとも残酷なものであることに気付かされるに違いない。
もちろん、観客に行間を想像させるには、それだけの魅力が各々のシーンにあってこそのことである。がらりと雰囲気が変わる遊園地のシーンや衝撃的なラスト・シーンをはじめ、ワン・シーン、ワン・シーンが雄弁だ。それらのシーンを観れば、本当に映像化すべきシーンが慎重に選ばれていることが分かるだろう。もうひとつ、観客の想像をかきたてるもののとして、主人公の少女の瞳を挙げたい。世の中の憎しみのすべてが込められているようでいて、時に実に子供らしい純粋な瞳。それは、ストイックなまでに抑えられた演出の中にあって、唯一、観客の感情を激しく揺さ振るものである。



<<ストーリー>>

真面目な十四歳の少女ムシェットは、貧しい家庭でアル中の父親から苛められ、病気で寝たきりになっている母親の代わりに赤ん坊の面倒をみながら暮していた。彼女は不幸な上、学校ではいつも孤独である。
ある日、学校を抜け出したムシェットは、森へ入っていった。彼女はそのまま迷子になってしまうが、密猟者のアルセーヌに助けられた。アルセーヌと森の番人のマチューとは、ルイザという一人の女性を取り合う恋敵であった。
アルセーヌはムシェットを自分の小屋に連れて行くと、マチューと喧嘩した末に彼を殺してしまったかもしれないと告白した……。



<<キャスト>>

[ムシェット]
ナディーヌ・ノルティエ

[アルセーヌ]
ジャン=クロード・ギルベール

[母親]
マリア・カルディナール

[父親]
ポール・エベール

[マチュー]
ジャン・ヴィムネ

[マチューの妻]
マリー・ジュジーニ

[老婆]
スザンヌ・ユグナン

[ルイザ]
マリーヌ・トリシェ

[女主人]
レイモンド・シャブラン



<<スタッフ>>

[監督/脚本]
ロベール・ブレッソン

[製作]
アナトール・ドーマン

[原作小説]
ジョルジュ・ベルナノス 「ムシェットの新しい物語」

[撮影]
ギスラン・クロケ

[音楽]
ジャン・ヴィエネル

[美術]
ピエール・ギュフロワ