貧民街に暮すチャーリーが捨て子を拾った。
五年後、仲良く暮していたチャーリーと子供の前に子供の母親が現われる。

キッド

THE KID

1921, 1971  アメリカ

50分  モノクロ   サイレント



<<解説>>

貧しい孤独な男と、捨て子として拾われた幼い子供の間の、家族のような愛情を描いた人情コメディ。チャップリン作品の中でもっとも取っ付きやすい物語であるためか、リメイクやパロディの多い代表作となった。チャップリン監督・主演の中篇映画だが、初の長編という見方もある。オリジナルは1921年の公開だが、本作は1971年に再編集し、チャップリン自身の音楽をつけたサウンド版である。
1918年の『犬の生活』では、浮浪者であるチャーリーと野良犬の触れ合いをユーモラスに描いていた。本作はそのシチュエーションを発展させたような内容で、孤独なチャーリーが共感を持って愛情を示すことの出来る対象が、野良犬から捨て子に移されている。この捨て子を演じた子役の演技がかわいらしく、小型のチャーリーと言った感じだ。また、これまでのアイデア主体のコメディとは違い、ドラマ性が高いのも特徴でもある。冗長なギャグがほとんどなく、チャーリーと子供の関係を重点的に描いている。
チャーリーという登場人物は、これまでの作品を見れば分かるとおり、隙あらば人を騙そうとするような反社会的な人間である。そんな彼だからこそ、子供に人間的な愛情を見せ、彼を守るために必死になる姿が観る者の心を打つ。長編時代のチャップリンは、メッセージが鼻につくという意見があるが、チャーリーと子供の交流を注釈を加えずに見せた本作は、押し付けがましくないギリギリのラインといえるかもしれない。本作の“ダメ人間の無償の愛”というモチーフは、後の傑作『街の灯』にも踏襲されることになる。意味深なラストシーンには説明をつけず、観客の想像の余地を残すところも、『街の灯』と同じである。



<<ストーリー>>

一人の女、エドナが慈善病院で赤ん坊を産んだ。彼女には身寄りがなかった。エドナには恋人の男がいたが、男は彼女の写真を誤って燃やしてしまったのを期に、彼女のことを諦めてしまった。赤ん坊を一人で育てる自身のないエドナは、通りに停めてあった車の後部座席に赤ん坊を置き去りにした。車は悪党たちの持ち物だった。悪党たちは車を貧民街まで走らせた後、後ろに赤ん坊がいるのに気付いた。悪党たちは赤ん坊を降ろして、その町に捨てていった。
貧民街に暮すチャーリーは、朝の散歩の最中に赤ん坊を見つけた。上から落ちてたものと思い、近所の女に返そうとするが、心当たりはないらしい。チャーリーは赤ん坊を元の場所に戻そうとしたが、折り悪く警官に見つかり、捨て子をしようとしていると勘違いされた。チャーリーはそのまま赤ん坊を抱いて行き、通りかかりの老人に押し付けた。すると、老人は赤ん坊を他人の乳母車に押し込んで知らん顔。さらに、乳母車の持ち主は通りかかったチャーリーに赤ん坊を押し付けた。またしても警官がやってきたため、チャーリーは赤ん坊を抱えて立ち去ることに。
めぐりぐめって戻ってきた赤ん坊を抱きながら、チャーリーは途方に暮れてしまった。赤ん坊を包んでいた布には一枚の紙がついていた。そこには、「この赤ん坊をよろしくお願いします」と書かれていた。チャーリーは赤ん坊にジョンと名付け、自分で育てることにした。その頃、エドナは自分のしたことを後悔し始めていた。急いで赤ん坊を置き去りにした車を探すが、既に停めてあった場所から消えていて、近くにいた人たちに尋ねてもその行方は分からなかった。
五年後。チャーリーの拾ったあの赤ん坊、ジョンはすくすく育っていた。チャーリーはジョンと協力して、インチキ商売に精を出していた。その日は、窓ガラス売りの仕事。ジョンが石を投げて民家の窓ガラスを割り、すかさず、チャーリーがあたらしいガラスを売りつけるというものである。警官に睨まれながらも、チャーリーとジョンは順調に商売を続けた。十三軒を回った最後の家では、チャーリーはその家の奥さんといちゃいちゃ。とろこが、その家の主は偶然にもあの警官で、それに気付いたチャーリーは一目散に逃げるのだった。
あれから、エドナはスターになっていた。彼女はスタートしての活躍の一方、慈善にも積極的で、貧しい町に行ってはそこの子供たちに菓子を配っていた。その日、エドナがやってきたのはチャーリーの住む町だった。彼女は町で見かけたジョンに微笑みかけるが、それが自分の捨てた子供だとは気付いていないのだった……。



<<キャスト>>

[浮浪者]
チャールズ・チャップリン

[母親]
エドナ・パーヴィアンス

[子供]
ジャック・クーガン



<<スタッフ>>

[監督/脚本]
チャールズ・チャップリン



<<プロダクション>>

[製作]
ファースト・ナショナル