コロンビア大学で実際に起きた大学紛争を基に
軍事施設の建設に反対して構内にたてこもった学生たちの姿を描く青春ドラマ。
いちご白書
THE STRAWBERRY STATEMENT
1970
アメリカ
109分
カラー
<<解説>>
60年代末に当時コロンビア大学の学生だったジェームス・クネーンが発表し、同時代の若者たちの強い支持を受けた体験記の映画化。この奇妙な題名は、コロンビア大学の学長が学生の交わしていた政治的な議論を「所詮、苺が好きか嫌いかといった程度の議論だ」とからかったことに対し、クーネンが当てつけたもの。60年代から巻き起こった世界的な学生運動の波の中でもっとも重要なもののひとつとされるコロンビア大学の紛争を、学生運動に興味のなかった“ノンポリ”学生サイモンの視点で描いていく。
はじめはクラブ活動感覚でたてこもり生活を楽しんでいたサイモン。しかし、バリケードの中で出会った女子大生と関わるうちに周囲に同調しはじめ、政治的、思想的に目覚めていく。やがて物語は、警察やマスコミを巻き込んだ壮絶なクライマックスに突入する。メッセージ性のあるシリアスな社会派のドラマではあるが、運動に参加する個性的な学生たちのスケッチや、主人公サイモンとヒロインとのロマンスが良く描かれているため、青春映画として親しまれることが多いようだ。特に、ヒロインを演じたキム・ダービーは当時の男子の心を鷲づかみにしたという。
本作の内容は、大学紛争の実状を知らない人間にとっては、“青過ぎ”て、“甘過ぎ”るもののように思えてしまう。結局、社会に何ももたらさなかった大学紛争は、学長の批判通り、革命に憧れた“ごっこ遊び”に過ぎなかったのかもしれない。しかし、したり顔で“青過ぎる”という感想を持ったとしても、それが羨望の裏返しであることは否定できない。というのも、不幸にも現代は、真顔で理想を語ることが必ずしも美徳ではなくなってしまっているからである。もし理想を語るとしても、「とか言ったりして」などとおちゃらけなければ、たちまち揚げ足をとられかねない抜き差しならない時代になってしまった。現実を重視するのも大切だが、そのために理想が切り捨てられるという風潮は、あまり健康的とは言えないのではないだろうか? “ごっこ遊び”と言えども、理想に燃えて学生運動に青春を消費出来た当時の若者は、言いたいことを言えずにエネルギーだけが鬱屈してしまっている現代の多くの若者よりも、幸せだったのかもしれない。本作には、そんな現代が失ってしまった眩いほどの“青さ”が溢れているのである。
<<ストーリー>>
大学生活をボートにかけていたサイモンは、その頃、学内を騒がしていた学生運動とは無縁の学生だった。その運動は、大学側が学校の近所に軍事施設を建設しようとしたことに端を発し、計画に反対した一部の学生が構内にたてこもりを続けていた。サイモンは、たてこもり生活の噂を耳にすると、興味本位で現場の見学に出かけた。構内の異様な雰囲気にとりつかれたサイモンは、軽い気持ちで学生運動に加わることにした。
食料調達係に就いたサイモンは、同じ係に就いていたリンダと知り合い、すぐに恋人の関係になった。だが、気楽にたてこもりを楽しんでいるサイモンとは違い、リンダは学生運動に熱を入れていた。リンダは、まだ、相変わらずボートを続けているサイモンを不真面目と決め付けたため、二人の仲はすっかり冷えてしまうのだった……。
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