<<ストーリー>>
町人文化が花咲く寛政三年。江戸では歌舞伎、滑稽本、浮世絵が人気だった。芝居に憧れ、中村座で裏方をする青年・十郎兵衛。彼は、ある日、舞台の上で役者の上る梯子を支えようとした時、誤って梯子の足で自分の足の骨を砕いてしまった。偶然、芝居を観ていた花魁崩れの大道芸人おかんは、十郎兵衛を気に入り、彼を芸の世界に引き入れることに。おかんは十郎兵衛に“とんぼ”という芸名をつけた。
芸人たちを引き連れ、版元の“蔦屋”を訪ねたおかん。店の主人・重三郎には、花魁時代に知り合った時分に、借を作っていたのだ。だが、当の重三郎は吉原の郭に出かけていて留守だった。一方、吉原では、重三郎が多岐川歌麿の新作の大首絵を花魁に見せているとこだった。と、そこへ奉行所からの出頭命令の知らせが飛び込んできた。重三郎が何者かにはめられたことに気付いたその時、おかんと大道芸人たちが現れた。実は、おかんが重三郎の抱える山東京伝作の洒落本を奉行所に訴えたのだ。大道芸人が郭の前で乱闘を繰り広げている時、若い花魁・花里が抱いていた黒猫が腕の中からすり抜けた。とんぼは雑踏の中から猫を拾い上げたのだった。
時の為政者・松平定信は、侍の町人への転進が流行していることに対して危機感を抱き、風俗を乱す禁制品の取締りを徹底させていた。禁制本を売った重三郎への処置も厳しくし、手鎖の刑と身代半減を言い渡した。その頃、とんぼはおかんの仲間の大道芸人たちと寝食を共にしていたが、未だに芝居の夢が棄てきれず、中村座に通い、裏方の手伝いをしていた。折りしも、不景気による千両役者の廃止と、お上の取り締まりも強化により、芝居が危機に立たされていた頃だった。ある日、重三郎は、蔦屋に居候している幾五郎(のちの十遍舎一九)を引き連れて中村座を訪ねた。その時、重三郎は、楽屋で背景画をあざやかな手つきで描くとんぼと出会ったのだった。
重三郎が手鎖に服している間、蔦屋の商売敵の鶴屋の喜右衛門が歌麿に新作を依頼した。喜右衛門は歌麿に花里をあてがい、花魁たちの絵を描かせるようなった。ようやく手鎖が外れた重三郎は、その時はじめて歌麿の裏切りに気付くこととなった。歌麿の美人画に対抗するべく、重三郎は、歌舞伎を廃れさせないために役者画を売ることを決意。生きた役者の顔を描ける絵師を探した重三郎は、各地を転々としている絵師・鉄三(のちの葛飾北齋)に役者の首絵を描くことを依頼した。だが、鉄三が芝居小屋で試しに描いてきた役者絵はどれもありきたりなもので、重三郎の眼鏡にはかなわなかった。
吉原で花里がお披露目される日、とんぼはあの日から預かっていた黒猫を返すことにした。だが、郭の前を練り歩く花里に猫を手渡したとんぼは、それを目撃した歌麿の逆鱗に触れ、つまみ出されたのだった。母が砂絵描きだったとんぼは、絵を描くことが好きで、暇さえあれば楽屋で紙に筆を走らせていた。とんぼの友人である狂言方の俵蔵(のちの鶴屋南北)は、今の芝居の嘘臭さに不満を持っていて、いつか自分で真に迫ったものを描いてやろうと考えていた。だが、その考えを口にした俵蔵は裏方の仲間とけんかになり、とんぼと共に小屋に出入りすることを禁じられた。とんぼは俵蔵に上方へ誘われるが、おかんのもとへ留まることにした。
鉄三の新たな住まいとなった長屋の隣りは、偶然にもおかんと大道芸人たちの家だった。挨拶がてらおかんの家に上がりこんだ鉄三は、そこで晒し首を描いた絵を見つけ、その迫力に圧倒された。鉄三の持ってきた絵を見て重三郎も納得。鉄三は絵を描いた張本人であるとんぼを探し出し、重三郎に紹介した。とんぼは、まさに重三郎の捜し求めていた型やぶりの絵師だった。重三郎はとんぼの才能に賭け、自分の店で浮世絵師として働くよう懐柔した。とんぼは、絵師になれば歌麿の鼻もあかせると聞き、「しゃらくせえ」と吐き棄てた。重三郎はとんぼのその台詞を気に入り、彼に“東海齋寫樂”という雅号を与えた。ただし、絵師になるにはひとつ条件があった。それは、寫樂の正体を世間に明かさず、町人の興味をひきつけること……。
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