ナチの強制収容所に収容されたある一家の物語をユーモラスに描く。
“イタリアのチャップリン”ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演の感動作。

ライフ・イズ・ビューティフル

LA VITA E BELLA

1997  イタリア

116分  カラー



<<解説>>

“イタリアのチャップリン”と称されるロベルト・ベニーニが、ホロコーストを題材にとったヒューマン・コメディ。イタリア映画としては日本で久しぶりに注目される作品とになった。
歴史上の悲劇として認定されているホロコーストを背景としながら、喜劇を撮ってしまおうしとしたことから分かるとおり、ベニーニは生粋のイタリア人として冷静に事件を見つめていたようだ。ホロコーストについては、悲劇性ばかりが強調されすぎていて、事件の本質について鈍感になってしまっているように思える。そんな今だからこそ、これまでとは異なる視点から事件を捉えた本作のような作品を観たいもの。ユダヤ人のスピルバーグが恨み節で撮ってしまった『シンドラーのリスト』を合わせてみれば、より事件の本質に近づけるかもしれない。
さて、物語は、ファシズム台頭以前の比較的平和な時代からはじまる。主人公のユダヤ系イタリア人グイドと後の妻ドーラのラブストーリーが、ことさら丁寧に描かれてところが意外なのだが、これが後半の悲劇を強調する大事な伏線となっている。伏線というと、グイドがドーラに運命を認めさせるために仕掛けたトリックが素敵で、『ジョニーの事情』あたりでも見せた脚本の鮮やかさが堪能できる。
後半は、ユダヤ人に対する差別や迫害を一人息子のジョズエに気付かせまいとする父親グイドの涙ぐましい努力が、哀しくもユーモラスに描かれていく。一つの嘘をさらなる嘘で固めようとするグイドの必死な姿は、前半で丁寧に築かれた一家の平和がファシズムによって無残に破壊されるという事実がありながらも、ベニーニの愉快な芝居のおかげで笑えてくる。
観客には、ジョズエの知らない事情があらかじめ分かっているだけに、グイドの滑稽さばかりに目がいきがちなるが、ジョズエの視点からグイドの一連の言動をあらためて考えてみると、深い感動に包まれることになるだろう。ホロコーストを背景としているが、結局のところベニーニは、ある抗いがたい事件に対してとるべき行動をとった一人の父親の後ろ姿を、独自の喜劇として見せたかったようだ。



<<ストーリー>>

1939年のイタリアのある小さな町。本屋を開業するため街にやってきたユダヤ人グイドは小学校の教師ドーラに恋をした。ドーラの気を引くため、様々な工夫を凝らすグイド。例えば、ドーラの心を開く鍵が欲しいと天にお願いすると、実際に鍵が降ってきたり、彼女の心が開くにはどのくらい時間がかかるか天に聞くと、紳士が近づいてきて7秒だと告げたり。ドーラは別の男性と婚約していたが、そんなグイドの純粋さにひかれて彼と結婚したのだった。
やがて、グイドとドーラの間に息子ジョズエが生まれた。三人は幸せな生活を送るかに見えたが、ファシズムの台頭により一家はユダヤ人として差別や迫害を受けることに。そして、ある日、グイドとジョスエはドイツ軍に連行されてしまった。夫と息子がいなくなった事に気付いたドーラも、強制収容所行きの列車に乗せるよう、そこにいた兵士に自ら頼んだのだった。
グイドはジョズエの心を悲しみで満たさないよう知恵を絞った。そして、収容所での生活は一等賞の戦車を目指すゲームだとジョズエに説明し、努めて明るく楽しそうに振る舞うことにしたのだった……。



<<キャスト>>

[グイド・オレフィセ]
ロベルト・ベニーニ

[ドーラ]
ニコレッタ・ブラスキ

[ジオ]
ジュスティーノ・デュラーノ

[フェルシオ・オレフィセ]
セルジオ・ブストリック

[ベルトロメオ]
ピエトロ・デ・シルヴァ

[ジョズエ]
ジョルジオ・カンタリーニ

[ドーラの母親]
マリサ・パレデス

[レッシング医師]
ホルスト・ブッフホルツ



<<スタッフ>>

[監督]
ロベルト・ベニーニ

[製作]
エルダ・フェッリ
ジャンルイジ・ブラスキ

[ラインプロデューサー]
マリオ・コトーネ

[脚本]
ヴィンセンツォ・セラミ
ロベルト・ベニーニ

[撮影]
トニーノ・デッリ・コッリ

[音楽]
ニコラ・ピオヴァーニ

[美術/装飾/衣装デザイン]
ダニーロ・ドナーティ

[編集]
シモーナ・パッギ