うっかり体制批判をしてしまった父親が逮捕された。
50年代の体制転換の波に翻弄されたユーゴスラビアのある一庶民の姿を
純朴な子供の視点から描くい社会派コメディ。

パパは、出張中!

OTAC NA SLUZBENOM PUTU

1985  ユーゴスラビア

136分  カラー



<<解説>>

世界各地で生じている紛争や政治問題について、マスメディアが伝たえてくれる包括的な事実も大切だが、実際に混乱のあおりを食らっているのが、そこに暮す一庶民であることも無視することは出来ない。本作は、50年代のユーゴスラビアにおける問題を描くために、あえてあるひとつの一家にだけスポットを当てる。しかも、純朴な子供の視点を持たせることで、より痛烈な皮肉となり、俯瞰的、多角的に政治問題を描いたものとは、また違った緊張感のある作品となっている。一応、喜劇的な物語なのだが、それと対照的に主人公の少年を取り巻く大人たちの言動は客観的かつ現実的で、少年の言葉を借りて、回りくどくあいまいに濁されているところは、当時の社会の雰囲気が伝わってきて興味深い。しかし、あえて体制の問題をズバリ指摘しないのは、体制のいかんに関わらず、どの国にも存在する国民を押さえこもうとする国家の態度への批判とも捉えられ、当時のことを喜劇として描くことで、現代の国内の問題にも気付かせようとする監督の意図が感じられる。



<<ストーリー>>

1950年。ソ連圏を脱したユーゴスラビアは、反スターリン主義を掲げ、国民も自粛ムード。そんな中、サラエボの二児の父ミーシャは愛人の教師アンキッツァの前で、国家を挙げての体育振興運動をうっかり茶化してしまった。ミーシャの発言はアンキッツァを通して党の役員であるミーシャの義兄ジーヨに密告された。
ある晩、ミーシャは家族の前から突然、姿を消した。ミーシャの息子マリクは不安になり、消えた父親のことを母のセーナに尋ねた。セーナはミーシャが逮捕されたとは言えず、「出張中」とマリクに言い聞かせた。マリクは父がいなくなったせいか、その時から夢遊病にかかってしまった。
やがて、ミーシャから釈放を報せる手紙が届いた。マリクとセーナはミーシャが強制労働されられている鉱山へ会いに向かった。その時、セーナはミーシャを逮捕に陥れた愛人の存在を知ることになった……。



<<キャスト>>

[マリク]
モレノ・デ・バルトリ

[ミーシャ]
ミキ・マノイロヴィッチ

[セーナ]
ミリャナ・カラノヴィッチ

[ジーヨ]
ムスタファ・ナダレヴィチ

[アンキッツァ]
ミーラ・フルラン

[フランヨ]
プレドラグ・ラコヴィッチ

[フザファル]
パヴレ・ヴイシッチ

[セキッチ]
スロボダン・アリグリディチ

[ジヴカ]
エヴァ・ラス

[マーシャ]
シルヴィア・プハリッチ



<<スタッフ>>

[監督]
エミール・クストリッツァ

[製作]
マルザ・パシック

[脚本]
アブドゥラフ・シドラン

[撮影]
ヴィルコ・フィラチ

[音楽]
ゾラン・シミャノヴィッチ

[美術]
プレドラグ・ラコヴァッチ

[編集]
アンドリヤ・ザフラコヴィッチ

[衣装デザイン]
ディヴナ・ヨヴァノヴィッチ