政治的運動に傾倒する女性が、かつて憧れた作家志望の男性と再会。
理想の異なる二人の間の戦前戦後二十年におよぶ愛を描くロマンス。

追憶

THE WAY WE WERE

1973  アメリカ

118分  カラー



<<解説>>

実力派歌手という本職を活かし、ミュージカル・コメディへの出演が多かったストライサンドが、本格的なドラマに挑んだ作品。彼女の歌う主題歌「追憶」もヒットした。本人も政治的志向が強いせいか、彼女の演じる主人公も真に迫っていて、女優ストライサンドとして強烈な印象を残した。メロドラマと言われいるだけあって、人物描写はややオーバーだが、二人のすれちがいは現実に即していて、男女共にそれぞの立場で共感できるところが多い丁寧な脚本だ。
主人公ケイティは、男性にしてみれば、もっとも敬遠される“めんどくさい”女性なのかもしれない。しかし、女性にとっては、自らの信念に忠実なヒロインは共感と憧れの的である。特に不器用な文系女性の間では、絶大な支持があり、本作をバイブル視している人も少なくない。
ケイティという人物は、政治に深い関心を持ち、広い世界に目を向けてはいるが、身近なことがおろそかになしまいがちだ。そして、自分のことしか考えていないと誤解されてしまう。仕事は出来るが恋がヘタクソな彼女。つまり、今風に言えば、典型的な“負け”女。だが、ここには、“負け”の美学のようなものが潔いほどに貫かれている。現代女性にも観直してほしい作品だ。



<<ストーリー>>

第二次大戦中のニューヨーク。ラジオ局で働く共産党員ケイティはあるパーティの席で、偶然に海軍大尉のハベルと遭遇。ケイティとハベルは大学の同級生だった。当時、反戦運動に熱心だったケイティは、演説をする自分へ熱いまなざしを向けるハベルと出会い、親しくなったのだ。ケイティは作家志望のハベルの才能にひかれていくが、政治に感心を持つ彼女とは違う世界を生きていた。パーティでの再会は大学卒業以来だった。
酔いつぶれたハベルを自宅で介抱したケイティは、どちらが誘うでもなくベッドを共にした。ハベルとはそれきりか、と思われたが、思いがけなく翌日も宿を借りたいとハベルが申し込んできたため、成り行きで同棲生活がスタートした。二人の仲はますます親密になっていったが、政治のこととなるとムキになるケイティの性格は相変わらずで、度々ハベルを困らせるのだった。ハベルから海軍での親友J.J.とその友人たちを紹介された時も、退廃を好む彼らとどうしても親しくなれず、ケイティはその場を白けさせてしまった。
ハベルは、作家としては本を一冊出したきりだったが、ケイティからタイプライターをプレゼントされたのを期に新作の執筆にとりかかった。彼は脚本家としてハリウッドでの優雅な生活を目標とし、その実現の可能性を昔の恋人にキャロル・アンに打ち明けていた。
ケイティとハベルの性格をめぐる反目は、ルーズベルトの死をきっかけに度合いを増していった。J.J.がルーズベルトをジョークのネタにしたことにケイティがかんしゃくを起こしたのだ。ケイティはハベルから決別を宣言され、アパートの鍵も返された。ハベルを諦められないケイティは「せめて友達でいてほしい」と涙ながらに訴えた。ハベルはケイティの懇願に負け、彼女をハリウッドへ連れて行くことにしたのだった。
ハベルの脚本「アイスクリームの国」が売れ、彼の脚本家としての仕事も軌道に乗った。必然的にブルジョアの映画人とも交流も持つようになった。ケイティも政治への情熱を抑え、夫婦の仲も上手くいっていた。ケイティがハベルに妊娠を打ち明けた頃、ハリウッドにアカ狩りの足音が近づいてきた。監督の邸に盗聴器が仕掛けられていることが発覚し、いよいよその勢いが増してきた。
ハベルもアカの容疑者として追及される可能性が出てきたが、そんな折、ケイティが言論の自由を訴えにワシントンへ向かってしまった。その結果、保身に焦っていたハベルも、アカ狩りに巻き込まれてしまった……。



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