ニュータウン建設で棲家を追われた多摩のタヌキたちが人間へ戦いを挑む。
スタジオ・ジブリ製作の長編アニメーション。

平成狸合戦ぽんぽこ

原題総天然色漫画映画
平成狸合戦ぽんぽこ
製作年1994 年
製作国日本
上映時間119 分
色彩カラー



解説
『おもひでぽろぽろ』に続く高畑勲監督の劇場向けアニメの8作目。昭和40年代の東京郊外・多摩丘陵を舞台に、大規模都市計画で棲家を失ったタヌキたちが、計画の中止を求めて、「化(ばけ)学」を武器に人間に戦いを挑む物語。杉浦茂の漫画の古典「八百八狸」にインスパイアを受け、古くから神様として祭られる一方、滑稽な動物として愛される身近な動物ながら、最近、特に都会ではめっきり目にしなくなったタヌキにスポットを当る。タヌキたちのユーモラスな闘争を通し、開発で失われつつものへ目を向けさせるメッセージ性の強い作品である。
登場するタヌキは、人間の見ているところでは獣のような姿をしているが、普段は直立二足歩行をしているという設定である。写実的な獣スタイル、漫画チックな二足歩行スタイル、さらにデフォルメされたスタイルの三形態をめまぐるしく行き来するタヌキたちが、画面せましとにぎやかに暴れまわる。タヌキが人間への対抗手段として用いるのは、「人を化かす」で知られる「変化(へんげ)」という架空の能力(劇中、この能力の習得や応用のことを「化学」と呼んでいる)であり、民話や言い伝えなどの伝承に基づいたタヌキたちの様々な変化が描かれる。アニメーションならではのキャラクターの鮮やかなトランスフォーメーションは目にも愉しい。
ジブリ作品には、声の出演に人気タレントを起用することが多いが、本作では落語家やベテラン俳優を多数起用。前作同様、プレスコ(先に声を録って、声の演技に合わせて絵を付ける手法)を用いるこで、ユーモラスなキャラクターにシブい声色を見事にあてている。また、古今亭志ん朝(三代目)によるナレーションによって物語をけん引していくのも本作の特徴で、語りの本職による名調子が楽しめる。しかし、言葉で語りつくす物語は、大人には分かりやすいものの、子供にとっては、頻出する難解な用語、社会風刺やパロディを交えたエピソード、リアリティを求めた心情描写を正しく理解できなかったようで、「退屈」と感じる人も多いようである。
残念ながら、本作はジブリ作品の中での評価は高いとは言えない。子供にとって難解で退屈であるというというのが一番の理由だが、別の理由としては、あからさまに教育的な内容や、現実的で夢のない展開に、ジブリ作品にファンタジーとしての楽しさを求める愛好者から強い違和感を持たというがあるだろう。また、作品全体に漂う説教臭さと、その反省の裏に隠された言い訳とも誤解されかねないラストが、他のジブリ作品がうまくオブラートに包んできたメッセージ性を暴露するようであり、そのことも印象を悪くしているようである。確かに、ちょっとだけ出過ぎたところがあったのかもしれない。しかし、現実と向き合い、それらをつぶさに反映した社会風刺漫画映画としては良作であるため、子供の頃に観て挫折した人も、今一度観直してみる価値はあるかもしれない。



ストーリー
かつて、多摩丘陵のタヌキたちは、エサの豊富な人家のそばで平穏に暮らしていた。ところが、突然、里から人が消え、空き家となった家も取り壊されてしまった。行き場を失ったタヌキたちは、限りあるエサ場をめぐって、小競り合いや乗っ取り合い繰り返すようになった。
ぽんぽこ31年秋。ついに、タヌキたちは、鷹ヶ森の権太率いる赤軍と鈴ヶ森の青左衛門率いる青軍とに別れて、合戦を行った。不毛な戦を制止した火の玉のおろく婆は、権太たちを多摩丘陵を見渡せる高所に登らせ、山が消え失せ平らな丘になってしまっていることに気付かせた。喧嘩などやっている場合ではない、とおろく婆は一喝した。
高度成長経済への突入に伴い、東京周辺都県の住宅需要が旺盛になっていた。昭和42年。東京都は大量の宅地供給のため、3000ヘクタールに30数万人が暮らせる一大居住地、多摩ニュータウン計画を推進。多摩丘陵の山は削られ、昔からの屋敷は壊され、巨大な造成地が出現したのである。
今度のことで、タヌキたちは思っていたよりも人間の力が強大であることを思い知らされたのだった。この緊急事態を受けて、多摩丘陵のタヌキたちがぼたもち山万福寺に集められた。百五歳の鶴亀和尚を議長にした集会では、開発阻止の大方針が決められ、詳細は族長会議に委ねられることに。
族長会議ではまず、廃れていた化学復興と人間研究を五か年計画で取り組むことを決議。「化学」の「ばけ」とは、すなわち、タヌキとキツネと一部のネコだけが持つとされる変化(へんげ)の能力のことである。化学指南訳として、先進地である四国と佐渡から有名な変化狸を招へいすることを決定した。また、人間研究の情報収集のため、万福寺にテレビを設置したが、用もないのにタヌキが寺に入りびたりになるという事態に。
精神集中の極点であり、全細胞全組織を一瞬で組み替える自然界最高の驚異である変化。それをタヌキたちに技を身につけされるため、おろく婆を先生とした厳しい特訓が始まった。化学の復興は順調に進んでいたが、その中でも頭角を現したのが、正吉である。彼は子供のころから人間のすることに興味を持っていて、変化の基礎である人間観察を心得ていた。一方、タヌキは生来怠け者のであるため、落ちこぼれも出始めていた。正吉の親友のぽん吉はまったく変化ができなかった。
タヌキたちが化学復興に勤しむ間に冬が過ぎ春が訪れた。恋の季節であったが、棲家の限られているのに新たな子供を作ってはならないという鶴亀和尚の言いつけを守り、タヌキたちは身を慎んだ。おかげで子育てから解放されたメスも化学を身に着けるようになった。一方、ニュータウンの開発は着々と進み、タヌキたちが悲しみを込めて「のっぺら丘」と呼ぶ造成地が次々に広がっていった。
人間に化ける技を身に着けたタヌキたちの街頭実習が行われ、優秀な者は千円以上金を稼ぐという卒業課題も通過していった。着々と進んでいた人間撃退作戦はある日、突然決行されることになった。それは、権太の故郷である鷹ヶ森がのっぺら丘にされたことがきっかけだった。怒りに燃える権太に正吉も賛同し、若手の変化狸十名による決死の奇襲が仕掛けられた。大雨の日、彼らは工事用のトラックを襲撃。その結果、人間側に数名の犠牲者を出すという被害を与えたのだった。
テレビの報道によれば、今回の事故が同時多発的に起きたことから、開発の進め方に疑問を持つ声が出てていた。しかし、開発自体が中止されることはなく、希望を打ち砕かれた権太は、人間への憎しみを強くした。その後もタヌキたちは報道に一喜一憂。中でも彼らを勇気づけたのは、たたりを恐れる地元の声だった。変化狸たちは地蔵に化けることで、土地を売る契約を地主に思いとどまらせたり、白狐に化けて神社姿を現すことで、神社移転を見合わせたりと、地道なゲリラ戦をを繰り広げた。
面白半分で人間を化かすようになった仲間たちを、権太は生ぬるいと思っていた。実際、開発はストップするどころか、住宅の建設が開始されていた。変化狸たちのゲリラ戦は、「ニュータウンの怪」として、テレビや雑誌のネタにされるにとどまっていた。現状の打破をすべく、正吉はガールフレンドのおキヨと一緒に、予てより考えていた「双子の星」作戦を結構に移すことに。正吉はおキヨと双子の座敷わらしに化け、飯場につめている出稼ぎ労働者たちを脅かしたのだった。
作戦は大位成功し、吃驚仰天した出稼ぎ労働者たちは、翌朝、逃げるように故郷に帰ってしまった。正吉とおキヨは仲間たちから称賛されるが、次の日には別の労働者が飯場にやってきた。人間を撃退しても、代わりの人間はいくらでもいるのである。正吉は化かすだけの作戦に懐疑的になっていった。おろく婆も、変化の能力を隠していたこの数十年がタヌキにとって最も平和な時代であったことを踏まえた上で、化け学は両刃の剣であり、軽々しくそれを見せて、人間の復讐心を煽るべきではない、と戒めるのだった。
秋。意気に燃えていた若い変化狸は一時目標を失うが、すぐに冬支度のための食糧確保に目標を切り替えた。そんにある日のこと、造成地に疲れ果てた一匹の狸が流れついた。正吉とおろく婆に保護された林という名のタヌキは、神奈川県藤野町から来たという。藤野の山で開発残土の不法投棄が行われていて、その出所をつきとめるためにトラックの荷台に乗ったところ、ここに辿り着いたのだった。正吉たちは、多摩丘陵で山が削られた上に、その土によって藤野の山でも迷惑しているという、開発の業の深さを知るのだった。
四国と佐渡に使者を送ったものの、そのどちらからも頼みの長老たちが訪れることもなく年が明け、ぽんぽこ33年の正月がやってきた。開発の中止はおろか、「ニュータウンの怪」のことも人間たちの間から忘れ去られつつあった。正吉は、変化できないタヌキたちを励ますために、工事現場に置かれた重機を皆で押して崖下に落とすという奇襲を決行。人間たちは悪質ないたずらとみなし、事件は迷宮入りしたのだった。
春。再び恋の季節がめぐってきた。一年間身を慎んでいたタヌキたちは恋に燃え、多くの子供が生まれた。正吉もおキヨとの間に三匹の子供をもうけるのだった。その頃、四国に使者として旅立っていた鬼ヶ森の玉三郎は、金長大明神に居す六代目金長に助力を請うていた。だが、長老たちのなかなか会議が終わらず、その間に玉三郎は、金長の娘・小春と恋仲になっていた。一方、佐渡に旅立っていた水呑み沢の文太は、団三郎狸を探して回っていたが、その行方はようとして知れなかった。
夏。開発の進展による森の減少と、ベビーブームによる人口倍増が重なり、タヌキたちは食糧不足という深刻な事態に直面していた。変化狸たちが町に出て、人間用食料を調達するが、それだけではとても足りず、変化できないタヌキたちも人家に近づくが、車の事故や罠で命を落とすものが後を絶たなかった。強硬派の権太は、今こそ人間に立ち向かう時だと叫び、親衛隊たちとクーデターを企てるが、その時、玉三郎が四国の長老たちを連れて帰ってきた。
その夜、万福寺で決起集会が開かれた。六代目金長、太三朗禿狸、隠神刑部の三長老は、四国の開発が東京に比べて進んでいないのは、人間たちがタヌキを怒らせたらどうなるか心得ているからだとし、東京の人間にもタヌキへの尊敬と畏怖の念を取り戻させるため、妖怪大作戦を発動するこを宣言。三長老の頼もしい演説に意気を取り戻したタヌキたちは、作戦に向けて直ちに特訓を開始した。自然界に充満する様々なエネルギーを増幅して利用する作戦には、恐るべき精神集中を要するため、変化できるできない区別なしに一致団結した。
ぽんぽこ33年暮れのある夜。ついに、妖怪大作戦が発動された。タヌキたちは、花咲じじいに狐の嫁入り、阿波踊りに風神雷神、天狗や達磨や福助と、様々な妖怪や化け物に化けて、ニュータウンの団地の道を練り歩き、空を舞った。何ごとかと家から飛び出してきた人間の大人たちは呆然とし、一方の子供たちは大喜び。精神力を使い果たした隠神刑部は死去するが、人間たちを脅威と驚嘆を与えるという目的は大成功のうちに果たされたのだった。
ところが、一夜開けてみると、事態は予想外の方向へと進んでていた。昨夜のお化けのパレードを無許可で行ったいう人間が名乗り出たのだ。それは、ニュータウンに建設を予定しているテーマパーク、ワンダーランドの社長だった。タヌキたちが命を削って決行した妖怪大作戦を、まんまと宣伝に利用されてしまったのだ。テレビの報道を見たタヌキたちは、手柄の横取りに悔し涙を流し、無力感に苛まれた。そして、お化けのパレード騒動は一気に沈静化していったのだった。
パレードの実行者は果たしてだれなのか? プロモータを雇い入れようと血眼で探していたワンダーランドの社長に、実行者に心当たりがあるという謎の男・竜太郎が近づいてきた。社長は竜太郎に一億で実行者を連れてくるよう命じた。竜太郎は六代目金長に会くと、変化キツネの正体を現し、六代目を銀座の有名クラブの特別室に案内。竜太郎は、多摩のキツネが滅びたことを打ち明け、タヌキの同じ運命を辿るだろうと告げた。我々が大東京で生きには、人間に身をやつすしか道はないのだという。
その頃、万福寺では、この深刻事態への善後策について話し合われたが、議論は堂々巡りしていた。正吉はさらに強力な妖怪大作戦を実行すべきだと訴えるが、それに対し、権太は人間に実力で決戦で挑むべきだと叫んだ。一方、鶴亀和尚は、今回のことがどうしても悔しく、おきて破りであることは承知していたが、タヌキがやったことであると人間たちを前に明らかにしたいと考えていた。銀座から戻ってきた六代目金長は、竜太郎からの進言を受け、変化狸たちをワンダーランドに就職させることを提案するが、まともに耳を貸す者はいなかった。
タヌキたちの結束乱れていった。権太は人間への実力行使のため、強硬派の仲間を募って回っていた。鶴亀和尚は、テレビ局に宛て、パレードがタヌキの仕業であることを記した投書を投函。もうろくしてしまった太三朗禿狸は踊念仏を唱え、変化できないタヌキたちをの教祖となっていた。そして、六代目金長は玉三郎と力を合わせた変化術によって、ワンダーランドの社長から支度金を強奪し、一矢報いるのだった。
同日、権太たち強硬派は大蛇に化けて、新たに伐採地から作業員たちを追いだし、山道の入り口で警察とにらみ合っていた。にらみ合いは夜まで続き、正吉が権太たちの行動を知ったときには、機動隊がやってくるところだった。正吉は、もう手遅れだというおろく婆の制止を振り切り、仲間と共に権太たちを助けに向かった。権太たちは最終兵器であるキンタマ攻撃を機動隊に見舞うも、文字通りの“玉”砕。正吉の目の前で、強硬派は次々と倒されていった。
時を同じくし、森に投書を読んだテレビ局が取材にやってきた。森から飛び出し、カメラに前に立った鶴亀和尚とおろく婆は、思いのたけを吐き出すが、取材クルーを気絶させるほど驚かせただけだった。一方、鶴亀和尚はキンタマを宝船に変化させると、船に変化できない並みのタヌキたちを乗せて死出の旅に出た。そして、権太と玉砕の生き残りたちは、力を合わせて妖怪つるべおとしに変化して、トラックに最後の戦いを挑むが、あえなくひかれて全員絶命したのだった。
正吉たちは佐渡から戻ってきた文太と再会した。団三郎狸が既に猟師に撃たれて落命していたことを報告した文太は、多摩丘陵の変わり様を見て呆然とした。彼は、「化かされているのはこっちではないのか?」と信じられない様子だった。故郷を失い嘆き悲しむ文太を見た正吉たちは、最後の力を振り絞り、多摩丘陵を昔の姿に戻すことを皆に提案。遊び心あるタヌキの最後の心意気として、六代目金長も賛同。正吉たちは昔の姿を思い起こし、一瞬だけ辺りを懐かしい里や農村に変貌させた。
こうしてタヌキたちは戦いに敗れ、多摩丘陵は人間にとって住みよい町、ニュータウンへと生まれ変わった。今回、タヌキたちが人前に姿をさらしたことは良い効果を生み、地形を生かした山林や公園が整備されたが、既に手遅れで、変化できない多くの仲間はまだ山の残る町田へと移り住んでいった。そして、正吉たち変化できるタヌキたちは、キツネ同様、人間に身をやつして暮らすことになったのだった。