田舎に引っ越してきた姉妹と、
隣の森に住むおばけ“トトロ”とのふれあいを描くアニメシーョン。
となりのトトロ
製作年 | 1988
年
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製作国 | 日本 |
上映時間 | 88
分
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色彩 | カラー |
『天空の城ラピュタ』に続く宮崎駿の長編アニメーションの4作目。前3作のアドベンチャー・アクション路線から作風ががらりと変わり、初期の中篇「パンダ・コパンダ」シリーズを彷彿とさせるほのぼの系のファンタジーである。トトロらおばけの現れるシーン以外はリアリズムが貫かれているところも、前作までと大きく異なっていて、美しい自然の情景や主人公たちの田舎暮らしの様子は、ノスタルジーをかきたてるものになっている。自然あふれる田舎を舞台に、純真な少女と精霊的な生き物のふれあいを描く内容は、『風の谷のナウシカ』で大々的に打ち出したエコのメッセージを別のアプローチで伝えるかたちとなった。また、ジブリのロゴとなったトトロは、エコを重んじる企業ポリシーを象徴するかのようだ。
宮崎作品が愛される理由として大きなものは、魅力的なキャラクターが生き生きと活躍することだろう。本作は、他の作品に比べるとキャラクターの数は少ないが、他のどの作品よりも親しみのあるキャラクターが登場する。主役のトトロたちはもとより、脇役のススワタリ(まっくろくろすけ)の人気も高い。特に見るものに強烈なインパクトを与えるのは、トトロが遠出に利用していると思われる化け猫の乗物“ねこバス”だろう。クライマックスでのねこバスの疾走は、日本のアニメで最もエキサイティングなシーンのひとつであることは間違いない。しかも、終盤はほとんどねこバスの活躍に始終し、エンディングまでトトロは登場しない。ねこバスが主役のトトロを食ってしまう形になったが、のんびりした感じのトトロ自身が活躍するという展開よりは、受け入れやすい結末だと思われる。
本作が同種のファンタジーの中でも優れているのは、単に異形のものとのふれあいを描いただけでなく、それらが子供の頃だけに見えて、大人になったら見えなくなってしまうということを意識して描かれている点にある。特に重要なのは、それが存在しているかどうかではなく、見えているかどうかである。存在の有無については、簡単に説明できるだろう。例えば、ススアタリが見えるのは、「明るいところから暗いところを見るときに目がくらむせい」だと父も言っている(ただし、父はおばけの存在には肯定的)。トトロの存在も、少女たちが母親がいない寂しさを紛らわすために見た子供らしい逃避だとすれば説明はつくだろう。しかし、そういった合理的な説明が見えていたものを見えなくしてしまっているのである。
不合理なものが見えなくなってしまうのは、大人になったからだというのは正確ではない。古代はもとより、原始的に近い生活を送っている地方では、現代でも精霊を信じ、それらを見聞きしている人々が大人子供にかかわらずいるからである。見えない者と見える者の間では、単に信じるものが違うだけかも知れず、どちらが優れているとは言い難い。しかし、合理的な説明が人間から想像力を奪うことは確かなようだ。合理的な説明=科学への信仰をもたらしたものは、即物的な文明である。文明が草木といった目に見え手に触れられるもののみならず、人間の想像力や感覚までも奪ってしまったことをほのめかした本作は、精神面からエコを訴えていると言っても過言ではないかもしれない。
夏。小学生の草壁サツキ、四歳の妹メイ、考古学者のお父さんの三人は、病気で入院しているお母さんのため、都会から田舎に引っ越してきた。こらからサツキたちの暮らすことになる一軒家は、ポーチの柱が腐りかけたボロ家で、近所の少年カンタから“おばけ屋敷”と冷やかされるほどだった。早速、雨戸や勝手口が開放され、久しぶりに家の中に光が入れられた。サツキとメイが部屋の奥に目を凝らすと、いっせいに天井裏に逃げていく黒くて丸いもが見えた。お父さんは、それはきっと“まっくろくろすけ(ススアタリ)”だろう、と言った。
ある日の午前。サツキが学校に出かけて行き、お父さんも書き物の最中だったので、メイは一人で家の前の原っぱで遊んでいた。メイが地面に落ちていたどんぐりをたどっていくと、その先に奇妙な生き物を見つけた。その生き物は、耳がとがり、体はずんぐりむっくりで、二本の足で歩いていた。メイは生き物を追って、家の前の大きな森の中に入っていった。メイが緑のトンネルをくぐっていくと、その先には、さっきの二匹より大きな生き物が眠っていた。目を覚ました生き物は、「あなたは誰?」というメイの問いかけに、大きな口を開けて「トォ!トォ!ロォ!」と叫んだ。
学校が終わり家に帰ってきたサツキは、父からメイがいなくなったと聞かされた。森の前にメイの帽子が落ちているのを見つけたサツキは、森の中に分け入り、一人で眠っているメイを発見。目を覚ましたメイは、サツキとお父さんに「トトロ」とあったことを話た。メイはトトロの存在を証明するため、サツキとお父さんを連れて森に入ってみるが、何度やってもトトロの寝床にはたどり着けなかった。お父さんは「運が良かったんだよ」と言って、メイを慰めた。サツキもトトロと会ってみたいと思い、お母さんの手紙で報告するのだった。
サツキとトトロの出会い時は、それからすぐに訪れた。それは、お父さんが大学に出勤した日のこと。朝は晴れていたのに、サツキが家に帰ることには大雨になった。サツキはメイを連れて、バス停までお父さんを迎えに行くことにした。だが、予定のバスにはお父さんは乗っていなかった。次のバスまで長い時間待たなければなくなくなった。無理してサツキと一緒に待ったメイは眠くなってしまい、サツキに背負われることに。
どれくらい時間がたったのか、日が暮れた頃にサツキがふと隣の足下を見ると、大きな動物の足があった。傘越しに見上げると、それはメイの話していたトトロだった。トトロもバスを待っているようだったが、傘もささず、雨に濡れるがまま。サツキはお父さんの傘をトトロに差し出した。しばらくすると、夕闇の中にバスのライトが近づいてきた。だが、バス停にやってきたのは自動車のバスではなく、十二本足の化け猫のバスだった。トトロは草の包みをサツキに渡すと、傘を差したまま猫バスに乗って行ってしまった。いつのまにか雨は止んでいた。サツキは次のバスに乗っていたお父さんに、自分もトトロと会えたことを興奮して話すのだった。
トトロからの贈り物の包みにはどんぐりがいっぱい入っていた。サツキとメイはどんぐりを庭に埋めて水をやるが、いっこうに芽を出す気配が無かった。ある日の夜中、サツキがふと目を覚ますと、庭のどんぐりを埋めたあたりの周りをトトロたちが踊ってた。サツキとメイも庭に出てトトロたちと一緒に踊ると、どんぐりが芽を出した。そして、みるみるうちに家の屋根をはるかに越える大木に成長した。サツキとメイがトトロに捕まると、トトロは不思議なコマの上に乗って、大木の上まで飛び上がった。サツキとメイはトトロたちと一緒に梢でオカリナを吹くのだった。翌朝、布団で目覚めたサツキたちが庭に出てみると、どんぐりが小さな芽を出していた。昨晩のことが夢のような夢ではなかったことに、サツキとメイは大喜びするのだった。
ある日、サツキとメイは、近所のおばあちゃんの畑の収穫を手伝った。太陽の光をたくさん浴びた野菜は、とてもおいしく栄養も満点だという。メイはお土産にトウモロコシを一本もらった。お父さん宛てに電報が届いた。お父さんが大学に出かけていたため、サツキが封を切った。お母さんの具合が悪くなったという報せだった。サツキはカンタの家の電話を借り、お父さんに電報のことを報せた。お父さんは、お母さんの入院している七国山病院に寄っていくと言った。
お母さんの退院の日が延びると知ったメイはぐずりだした。サツキは姉らしくメイを叱りつけるが、内心は不安な気持ちでいっぱいだった。実は退院が延びるのは、これがはじめてのことではなかったのだ。このままお母さんが死んでしまうことを想像したサツキは、堪らず泣き出してしまうのだった。サツキがおばあちゃんに宥められるのを見たメイは、ある決意を固めて家を飛び出していった。その手にはトウモロコシが抱えられていた。
メイがいなくなったことに気付いたのは、もうじき日が暮れようとする頃だった。サツキはメイがお母さんに会いにいったのだと考えた。だが、七国山病院までは大人の足でも三時間はかかる道のりだった。サツキは病院へ向う道を探し回るが見つからなかった。きっと途中で道を間違えて、迷子になってしまったのだろう。サツキが途方に暮れていると、カンタが自転車でやってきて、池でサンダルが見つかったことを教えた。嫌な予感のしたサツキは急いで来た道を取って返した。サツキが村に戻ると、大人たちが池の底を浚っていたいるところだった。だが、サツキが確認したところ、幸いにもサンダルはメイのものではなかった。
今頼りれるのはトトロしかいないと思いついたサツキは森に走った。サツキが祈る思いで森に入っていくと、その祈りが通じ、緑のトンネルがトトロの寝床につながった。トトロはサツキの必死の訴えを理解すると、彼女を抱きかかえてジャンプ。大木の梢に立ったトトロは遠くに向けて大声で叫んだ。すると、その声に応えて猫バスが駆けつけてきた。サツキはトトロに促されて猫バスに乗った。猫バスの行き先表示が“めい”に切り替わった。サツキを乗せて出発した猫バスは、田畑や電線の上を風のように駆け抜けた。そして、あっと言う間に迷子になっていたメイのもとに到着したのだった。
メイは栄養のあるトウモロコシをお母さんにとどけるつもりだった。サツキとメイの話しを聞いた猫バスは、二人を七国山病院まで送っていた。サツキとメイは病室の窓の前の木の上から、お母さんとお父さんが話しているのを見守った。お母さんの具合が悪くなったのは風邪のせいだった。お母さんが元気そうだったのを見て安心したサツキとメイは帰っていった。その時、お母さんは窓の前の木にサツキとメイの笑顔を見た気がした。だが、それは気のせいではなかったかもしれない。窓の縁にはいつのまにかトウモロコシが置かれていて、その葉には“おかあさんへ”と刻まれていたのだった。