第二次大戦中に行われたナチスによるユダヤ人虐殺。
多くのユダヤ人を殺戮から救った実業家オスカー・シンドラーの実話を描くドラマ。

シンドラーのリスト

原題SCHINDLER'S LIST
製作年1993 年
製作国アメリカ
上映時間195 分
色彩モノクロ/パートカラー



解説
スピルバーグ切望の企画で十年の構想を得て映画化された作品。原作はトーマス・キニーリーのノンフィクション小説「シンドラーズ・リスト 1200人のユダヤ人を救ったドイツ人」。ナチス党員であった実業家オスカー・シンドラーが、迫害を受けていたユダヤ人1200人を私財をなげうって救ったという衝撃の実話を描く。自らもユダヤ人であるスピルバーグが監督料を受けずに作った渾身作であり、彼のフィルモグラフィの中でも最も重いテーマの作品のひとつとなった。
撮影は物語の舞台であるポーランドの都市クラフクで敢行された。より真実に近づけるため、実際にシンドラーとかかわりのあった当事者から証言を得るだけでなく、作品に出演してもらったりしたという。彼らの姿はエピローグで見ることが出来る。映像はモノクロであり、人物に過度に感情移入しないドキュメンタリー・タッチである。さらにゲットーや収容所でのナチスによるユダヤ人迫害を描いたシーンは手持ちカメラのぶれた映像を多用し、それが紛れもない事実であることを強調している。ナチスの蛮行を描く一連のシーンでは、映画で夢を見せてきたあのスピルバーグとは思えないほど、人間の恐ろしさを掛け値無しに見せている。それはまるで映画の中で同胞を再び殺すかのようであり、監督にとっても身を切る思いだったことが想像されるが、同時にこの作品に対する監督の覚悟も伝わる迫真のシーンである。
作品のタッチがこれまでのスピルバーク作品とは異なるものであるが、主人公シンドラーのキャラクターも珍しいタイプである。スピルバーク作品の主人公、特にヒーローともあれば、どこかユーモラスで飄々としてものであったが、シンドラーはまったく正反対の主人公として登場する。女好きの放蕩者で態度は尊大。この戦争とユダヤ人政策を利用して金儲けを企む俗物だ。しかし、ステロな主人公として美化するのではなく、人間シンドラーとして描いたことが物語の真実性を増すことになった。シンドラーは言う。「戦争は人間の最悪のところを引き出す」と。実際、収容所の所長はユダヤ人の殺戮に手をそめた。一方、シンドラーが戦争から引き出された彼の本性とは? 殺戮の現場を目の当たりにした時、彼は人間として行動したのだ。何も語らず、ただ実直に。
この作品はスピルバーグらしくなく、かつ、スピルバーグらしくある映画である。というのは、これほど重いテーマを扱いながらも、胸を打つエタンーテインメントとして成立しているからである。興味深いエピソードを並べながら、本筋をじらすように引っ張るというセオリーをきちんと守っていて、三時間強の長尺ながら最後まで一気に見せる。主人公がユダヤ人救出という大事業にたった一人で奔走するに至るまでのドラマティックな軌跡。その物語の求心力により、目を背けたくなるシーンが大半を占めたこの作品の真実に目を向けさせるということに成功したのだ。例えば他の監督が撮ったならば、史劇調のへんに重厚な作品になってしまっただろうことは想像にかたくないのであり、映画化したのがスピルバーグで本当に良かったと思わせる作品だ。



ストーリー
1939年9月。ポーランドは2週間でナチスに占領された。クラフクの町には、ナチスの政策により1万人以上のユダヤ人が集められていた。戦争による混乱で人々は不安に支配されていたが、この状況下で金儲けをたくらむ狡猾な男がいた。どさくさに紛れて町にやってきたナチス党員で実業家のオスカー・シンドラーは、これまで様々な事業に手を出してきたがことごとく失敗してきた。だが、戦争中は金よりも物資が求められることを確信していたシンドラーは、ほうろう製品を軍部に供給することで金を稼ぐことを思いついたのだ。それは戦争が長引けば長引くほど儲かる商売だった。
クラフクは600年前にユダヤ人が移り住んで以来、栄え続けてきた町だった。ユダヤ人は比較的裕福な生活をしていたが、皆、ナチスに家を追い出されて、狭い居住区(ゲットー)に押し込まれることになった。彼らの相談窓口であるユダヤ人評議会は、家や私財を取り上げられたユダヤ人でごったがえしていた。そこに場違いなスーツの男、シンドラーが現れた。シンドラーはそこにいたイザック・シュターンという会計士を名指し、彼を今度の事業のパートナーに選んだ。
工場は地元のユダヤ人から半ば強引に手に入れた。次は労働力である。シンドラーは、今やポーランド人よりも賃金の安くなっているユダヤ人を雇うことに決めた。ナチスはユダヤ人を選別し、働けないものは連行していったが、それに対してシンドラーは技能証明を偽造することで対抗。こうして350名のユダヤ人が集められ、釜鍋の生産に従事することになった。
生産体制を整えたシンドラーは、直ちに製品カタログを軍部に送った。軍という強力な得意先を得ることで、事業はまたたくまに軌道に乗った。シンドラーは工場を支えてくれるシュターンに感謝をした。だが、彼にとってユダヤ人は大切な働き手であったが、それ以上のものではなかった。そのため、ユダヤ人に感謝をすることはあっても、感謝されるいわれはないと思っていた。実際、シンドラーは感謝されることをひどく嫌った。
43年3月13日。突如、ゲットーが解体された。ナチスの兵士が列をなして押し寄せ、次々とユダヤ人を連行していった。散歩に出ていたシンドラーは丘の上からその凄惨な現場を目撃することになった。兵士たちは病人や怪我人などの働けない者をその場で射殺した。少しでも抵抗する者も容赦なく射殺した。幸いにも兵士の手をかいくぐって逃げたユダヤ人たちは床下や棚で息を潜めた。だが、深夜、再びゲットーにやってきた兵士たちは壁や天井に聴診器をあて、隠れていた者たちを一人残らず処刑した。
ゲットーのユダヤ人たちは、新しく建設されたプワシュフの収容所に連れて行かれ、強制就労させられることになった。そのため、シンドラーの工場は無人となり、後には大量の釜鍋が残された。シンドラーは軍に工員を返すよう要請した。だが、軍がそう簡単に応じるはずもなかった。シンドラーが将校たちたちに“感謝”という名の賄賂を渡すと、私設収容所という名目の工場に囚人を移す許可が下りた。
シンドラーはシュターンから収容所内の噂を集め、優秀な囚人から順番に自分の工場に移していった。そのうち、ユダヤ人の間でシンドラーの工場が天国であるという噂が広まっていった。ある日、シンドラーのもとを一人のユダヤ人の女が訪ね、収容所の両親を助けて欲しいと頼んできた。シンドラーは激怒して女を叩き出した。彼には工場の経営者としての責任があった。それに自分の身に危険が及ぶ可能性もあった。だが、良心には背けなかった。シンドラーは直ちに女の両親を工場で働けるよう手配した。
シンドラーは「戦争は人間の最悪の部分を引き出す」という持論を持っていた。その好例と呼べるものがプワシュフ収容所の所長であるアーモン・ゲート少尉だった。戦争でなければ普通の市民だったかもしれない。だが、今やゲートは囚人の命を掌握し、彼らをなんのためらいもなく殺していった。それも、その時の気分で暇つぶしでもするかのように。
シンドラーはゲートに取り入り、友人のように親しく付き合うようなっていた。収容所に併設されたゲートの邸では、毎晩のように豪奢なパーティが催され、シンドラーも顔を出していた。ゲートはユダヤ人を虫けら以下とするナチスの政策に従っていたが、囚人の中から選び出したユダヤ娘のメイド、ヘレン・ヒルシュを密かに愛していた。一方のヘレンはゲートにいつか殺されると思いおびえた日々を送っていた。ゲートの気持ちに感付いたシンドラーは、ヘレンに決して殺されないだろうことを教え、希望を持たせたのだった。
プワシュフ収容所は次々と送り込まれてくるユダヤ人でいっぱいになっていた。新しく囚人を受け入れるには、他の囚人を始末しなければならなかった。ナチスは、働けなくなったものから囚人からアウシュビッツの収容所に移送していった。アウシュビッツが自分たちの処刑場であるという噂は、既にユダヤ人の間で広まっていた。彼らはいつ自分が送られるのかと戦々恐々としていた。
シンドラーは突然、軍に逮捕された。ゲートの邸で祝われた誕生会の席で、ユダヤ娘にキスをしたことが原因だった。だが、ゲートが「シンドラーは女好き」と釈明してくれたおかげで、すぐに解放されることになった。シンドラーが留置所を出ると雪が舞っていた。いや、それは灰だった。プワシュフ収容所で殺された一万の囚人の遺体がいっせいに火葬にされたのだ。シンドラーは収容所に無造作に積まれたおびただしい数のユダヤ人の遺体を目の当たりにし、言葉を失った。
プワシュフ収容所は閉鎖されることになり、囚人のすべてがアウシュビッツへ移送されることになった。当初の望み通り工場で使い切れないほどの金を稼いだシンドラーは、故郷であるチェコに帰るつもりだった。戦争もいつかは終わるだろう。シンドラーはいちばんの功労者であるシュターンに「その時は一杯と酒を飲もう」と明るくふるまった。だが、シュターンは静かに首を横にふった。それが叶わないのが現実である。
シンドラーはゲートに囚人を分けてくれるよう必死に頼んだ。自分の収容所の工場で働かせるためだとシンドラーは主張した。だが、ゲートはそれがシンドラーの本当の目的ではないことに感付いていた。「モーゼ気取りか?」と疑いの目を向けていたゲートだったが、シンドラーから“感謝”を受け取ると、彼が囚人を引き取ることを許した。
シンドラーは自分の工場に連れて行くユダヤ人の名を思い出せるだけ挙げ、それをシュターンにタイプさせた。リストの名前は450名を超え、600名を超え……だが、まだ足りなかったなかった。シンドラーは名前を挙げ続けた。やがて、1200名のリストが出来上がった。リストの最後の一人は、ヘレン・ヒルシュだった。ゲートはヘレンをウィーンへ連れて帰り、自分のメイドにしようと考えていた。シンドラーはヘレンを賭け、ゲートにトランプの勝負を挑んだ。
“シンドラーのユダヤ人”にヘレンも加わることになった。彼らは男と女に分かれて列車に乗せられ、シンドラーの故郷、ハンガリーのブリンリッツの収容所に運ばれた。ブリンリッツに男たちの乗った列者が到着した後、シンドラーは重大な手違いが発生していたことに知った。女たちの列車がアウシュビッツに向かってしまったのだ。シンドラーはアウシュビッツに急行し、そこの所長と話をつけようした。所長は手続きが面倒になることを理由に女たちを引き渡すことを渋っていたが、シンドラーが宝石を差し出すと、それをポケットに収めた。
女たちも無事にブリリンリッツに移され、名目上囚人として工場で働くことになった。シンドラーは囚人たちの看守である兵士たちには、理由もなしに囚人たちを殺さないようよく言い聞かせた。工場では戦争に使われる砲弾が製造されるはずだったが、シンドラーは彼らにそれを作らせなかった。砲弾は他所で買ったものを納入してごまかしたり、軍に賄賂を渡すなどしてどうにか工場を維持していった。こうして、工場は生産ゼロのまま七ヶ月が経過。ついに、潤沢だったシンドラーの財産も尽き果ててしまった。
ドイツ軍が連合軍に対し無条件降伏を飲んだ。明日の戦争終結を前に、シンドラーは工場にユダヤ人を集めて最後の挨拶をした。ユダヤ人は明日になれば自由の身。だが、シンドラーは囚人に強制就労された罪人として追われる身だった。シンドラーは六年におよぶ殺戮から生き残ったユダヤ人に向け、「私に感謝する者もいるが、自分自身とシュターンに感謝を」と告げると、全員で犠牲者に黙祷を捧げた。
戦犯であるシンドラーは戦争が終結する前に妻と共に収容所から逃げることになった。出発を見送るユダヤ人の代表として、シュターンがシンドラーに金の指輪を贈った。指輪には「一人を救うものが世界を救う」というユダヤの言葉か刻まれていた。自分のした行為の重みを知ったシンドラーはその場に泣き崩れた。もっと努力していれば、あと十人、いやあと一人でも命を救えたはずずった。だが、その努力をしなかった自分の愚かさをシンドラーは深く悔んだのだった。



スタッフ